米国による対イラン軍事攻撃が日本に及ぼす影響
1.序論:地政学的地殻変動と日本の戦略的立場
中東地域における緊張の激化、とりわけ米国による対イラン軍事攻撃というシナリオは、単なる二国間の衝突を越え、日本という国家の存立基盤を揺るがす未曾有の危機を内包している。日本は地理的に中東から遠く離れているものの、その経済構造とエネルギー供給網は、ペルシャ湾という極めて限定的な海域に過度に依存しているためである。歴史的に見ても、1970年代の石油危機や1980年代のイラン・イラク戦争における「タンカー戦争」の際、日本経済は供給途絶の恐怖と物価高騰に直面し、社会的な混乱を経験した 。しかし、現代の日本が置かれている状況は、当時よりもさらに複雑かつ脆弱である。
現在の日本の原油輸入における中東依存度は94%に達しており、特定の地域への資源依存は世界的に見ても異常な水準にある 。このような状況下で、米国がイランの核施設や軍事拠点への攻撃に踏み切った場合、イラン側は即座に報復措置としてホルムズ海峡の封鎖や航行船舶への攻撃を選択する可能性が高い 。これは、日本にとってのエネルギー生命線が物理的に切断されることを意味する。本報告書では、エネルギー安全保障、マクロ経済、産業サプライチェーン、法制・安全保障、そして外交・社会情勢という五つの主要な視点から、想定される影響を多角的に分析し、日本が直面する課題を浮き彫りにする。
2.エネルギー安全保障:極限に達した供給構造の脆弱性
2.1.原油調達の中東依存の実態と構造的変化
日本のエネルギー安全保障における最大の懸念は、原油輸入の約9割以上を中東地域、それもホルムズ海峡を通過せざるを得ない諸国に依存している点である。2025年の最新統計によれば、日本の年間原油輸入量は1億3,974万キロリットルであり、その中東依存度は93.5%から94%という、歴史的な高水準で推移している 。
| 調達先国名 | シェア(2025年) | 戦略的背景と重要性 |
| アラブ首長国連邦(UAE) | 42.3% – 43.3% | 日本企業が海上・陸上油田の権益を保有し、自主開発・生産に直接関与。最大の供給拠点 |
| サウジアラビア | 39.3% – 39.8% | 長年の筆頭供給国であったが、近年は輸入量が漸減傾向にある |
| クウェート | 6.0% – 6.1% | 安定的な長期契約に基づく中核的な調達先 |
| カタール | 4.1% | 天然ガス(LNG)の主要供給国としての側面も持つ |
| 米国 | 3.8% | 代替調達先としてシェアが急拡大。2025年12月には単月シェア9.7%を記録 |
特筆すべきは、アラブ首長国連邦(UAE)がサウジアラビアを抜き、2年連続で最大の調達先となっている点である。UAEからの輸入増加は、日本企業がアブダビなどで直接権益を保有し、自主開発原油を確保できているという点で「資源のコントロール」という観点からは好ましい側面がある 。しかし、地政学的な視点に立てば、UAEの主要な出荷港の多くはペルシャ湾内に位置し、ホルムズ海峡の封鎖リスクに直接さらされている。米国がイランを攻撃した場合、日本の原油調達の8割以上が瞬時に途絶するリスクを抱えているのである 。
2.2.液化天然ガス(LNG)供給の特殊な制約
原油以上に深刻な影響が懸念されるのが液化天然ガス(LNG)である。日本は全消費量の約80%の原油とLNGをホルムズ海峡経由で輸入している 。LNGの供給構造には原油にはない特殊な制約が存在する。まず、輸送には専用の大型タンカー(Q-Max型など)と、それを受け入れるための高度なインフラを備えた港湾が必要であり、有事の際に即座に輸送ルートを変更することが物理的に不可能である 。
さらに、アジア向けのLNG価格(JKM:ジャパン・コリア・マーカー)は、伝統的に原油価格に連動する契約が多く、海峡封鎖や供給不安が発生すれば、スポット価格は平時の2〜3倍に跳ね上がることが予測される 。2022年時点で、日本はLNG輸入量の約10%を中東に依存しており、その大半がホルムズ海峡を通過している事実は、有事の際の電力・ガス供給の持続性に重大な疑問を投げかけている 。
2.3.石油備蓄の現状と放出メカニズム
供給途絶という最悪の事態に対処するため、日本は世界でも有数の石油備蓄制度を運用している。2024年現在の統計によれば、日本は官民合わせて約240日分の備蓄を保有している 。
| 備蓄の種類 | 保有量(製品換算) | 備蓄日数(IEA基準換算) | 法的根拠・役割 |
| 国家備蓄 | 4,203万kl | 116日分 | 石油備蓄法に基づき政府が保有。昭和53年から開始 |
| 民間備蓄 | 2,839万kl | 81日分 | 石油精製・輸入業者に義務付けられた在庫 |
| 産油国共同備蓄 | 274万kl | 7日分 | 産油国にタンクを貸与し、有事の優先供給を約束 |
| 合計 | 7,592万kl | 204日分 | 日本独自基準では約240日分 |
紛争が勃発し、ホルムズ海峡が物理的に封鎖された場合、政府はこれらの備蓄を段階的に放出することで市場のパニックを抑制し、国民生活への影響を緩和しようと試みる。しかし、備蓄放出には国際エネルギー機関(IEA)との協調や、経済産業大臣による放出指示などの複雑な行政プロセスが必要であり、供給不足の発生と市場への現物投入の間にはタイムラグが生じる懸念がある 。また、封鎖が180日を超える長期戦となった場合、他国からの代替輸入だけで日本の需要を完全に満たすことはほぼ不可能であり、最終的には国民生活の制限(給油制限や電力使用制限)に踏み込まざるを得ない事態が想定される 。
3.マクロ経済への衝撃:スタグフレーションの猛威
3.1.原油価格急騰と貿易収支の悪化
米国による軍事攻撃は、国際原油価格に即座かつ破壊的な上昇圧力をかける。過去のイスラエルによるイラン攻撃の際には、WTI原油先物価格が一時的に14.1%上昇した記録がある 。本格的な戦争状態となれば、原油価格は1バレル120ドルから130ドルの水準で推移し、供給不足が深刻化すればさらなる高騰も否定できない 。
日本のような資源欠乏国にとって、原油価格の高騰は「所得の海外流出」を意味する。2022年の資源高騰時には、UAEとの貿易だけでも約5兆円の赤字を記録しており、2025年においても約2.7兆円の高水準な赤字が続いている 。米国による攻撃に伴う価格急騰は、この貿易赤字を劇的に拡大させ、日本の経常収支を圧迫し、結果として円売り圧力を強めることになる。
3.2.GDP成長率への下方圧力とスタグフレーション
高エネルギー価格は、製造コストの上昇と消費の冷え込みを同時に引き起こし、日本経済をスタグフレーション(景気後退とインフレの併発)の深淵に突き落とす。予測モデルによれば、ホルムズ海峡封鎖に伴うエネルギーコスト増大により、2026年の日本のGDPは想定よりも0.6%低下するとの試算がある 。
また、インフレの再加速は日本銀行の金融政策に重大なジレンマをもたらす。物価上昇を抑えるためには利上げが必要となるが、景気後退局面での利上げは経済をさらに冷え込ませる恐れがあり、政策判断は極めて困難なものとなる 。物価は上がるが賃金は上がらないという状況は、国民の生活実感を直撃し、1970年代のオイルショック時のような社会的不安を醸成する可能性が高い 。
3.3.為替市場における「有事の円」の変質
従来、国際紛争などの有事の際には、安全資産とされる円が買われる「有事の円買い」が一般的であった。しかし、今回のシナリオでは、日本のエネルギー脆弱性が円の価値を押し下げる要因として強く意識される 。
- 円安要因:貿易赤字の拡大 原油・LNGの輸入決済のためのドル需要が急増し、実需面での円売り・ドル買いが発生する。特に韓国などのエネルギー依存国と同様、通貨安圧力が一因となる構造的な円安が懸念される 。
- 円安要因:有事のドル買い 米国が紛争の当事者となることで、基軸通貨であるドルへの回帰が強まり、円を含む他の通貨に対してドルが独歩高となる可能性がある 。
- 円高要因:リスク回避 一部の投資家がリスク資産(株など)から安全資産(債券や円)へ資金を移す動きは見られるものの、原油高による日本経済の毀損があまりに深刻であれば、円はもはや安全資産とは見なされなくなるリスクがある 。
このように、相反する要因が複雑に絡み合う中で、為替相場は乱高下し、企業の輸出入計画や家計の物価見通しを著しく不安定にする。
4.金融市場と資産価格:リスクオフの連鎖
4.1.株式市場への負の影響
軍事攻撃の報を受け、日本市場の株価には強い下落圧力がかかることが予想される。投資家は不確実性を嫌い、特に中東情勢に敏感なセクターから資金を引き揚げるためである 。
- エネルギー多消費型産業(製造業・物流): 原材料費や燃料費の上昇が収益を直撃し、株価の重石となる 。
- 輸出企業: 円安が進行すれば短期的にはプラスの寄与があるものの、世界経済の減速や部品調達の遅延というマイナス要因がそれを上回る可能性がある 。
- 金融・保険業: 市場のボラティリティ上昇や信用リスクの高まりから、投資マインドが冷え込む 。
一方で、米国株の代替投資先として日本株に資金が流入するとの楽観的な見方もあるが、これは日本経済のファンダメンタルズが維持されていることが前提であり、エネルギー危機が現実化すれば、その期待は急速に剥落するだろう 。
4.2.安全資産への逃避と商品市場
地政学的リスクの高まりは、金(ゴールド)や債券といった伝統的な安全資産への資金流入を促す 。
- 金価格: 供給不安とインフレヘッジの両面から、金価格は歴史的な高値を更新する可能性がある。
- 債券市場: リスク回避の買いが入る一方で、インフレ加速による金利上昇懸念が債券価格の下落(利回り上昇)を招くという矛盾した状況が生じ得る 。
5.産業サプライチェーンと物流:寸断される動脈
5.1.製造業のコスト構造の変化と生産遅延
日本の製造業、特に自動車や電機産業は、エネルギー価格の上昇に極めて脆弱である。エネルギーコストの増大は、アルミニウムや樹脂などの原材料価格を押し上げ、最終製品の競争力を削ぐことになる 。
| 業種 | 具体的な影響内容 |
| 自動車・電機 | 原材料費(鉄鋼・化学)や輸送費の急騰。部品調達の遅延による生産ラインの停止リスク |
| 建設・土木 | セメントや鋼材の価格上昇、現場での重機燃料コストの増大。公共事業の採算悪化 |
| 物流・運輸 | 軽油・ジェット燃料の価格転嫁が困難な場合、収益が急速に悪化。トラック運送の停滞 |
| 小売・食品 | 仕入れ価格の上昇と物流コスト増が重なり、マージンが圧縮。消費者の買い控え |
特に中小企業においては、急激なコスト上昇を価格に転嫁することが難しく、収益の悪化から連鎖倒産や雇用不安に繋がるリスクが、過去のエネルギー危機時よりも高まっている 。
5.2.海上輸送コストの高騰とルートの喪失
ホルムズ海峡の航行が不安定化すれば、海上保険料は天文学的な水準に達する。2025年初頭の時点で、すでに保険料は前年比20%増を記録しているが、軍事攻撃が発生すれば、保険の引き受け自体が停止される事態も考えられる 。
紅海ルート(スエズ運河経由)は喜望峰への迂回が可能だが、ペルシャ湾内の諸港(アブダビ、クウェート、カフジなど)からの原油積み出しは、ホルムズ海峡以外に代替ルートが存在しない 。このため、海上運賃の上昇のみならず、物理的な「ルート喪失」が日本の貿易を麻痺させる。航空貨物においても、ジェット燃料の高騰と空路の制限により、運賃が急騰し、精密部品などのサプライチェーンが断絶する。
6.法的・安全保障上の課題:「存立危機事態」の認定
6.1.安保法制とホルムズ海峡
米国がイランを攻撃し、イランがホルムズ海峡に機雷を敷設して日本の石油タンカーの航行を阻止した場合、日本政府は平和安全法制に基づく「存立危機事態」の認定を検討せざるを得ない 。存立危機事態とは、我が国と密接な関係にある他国(米国など)への武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある事態を指す。
安倍政権下の国会答弁において、政府は「ホルムズ海峡に機雷が敷設された場合」を、この事態の典型例として明示してきた 。石油供給が途絶し、電力不足や経済崩壊によって国民生活が麻痺することは、単なる経済的損失を超え、国家の存立に関わる事態であるという解釈である。
6.2.自衛隊の活動と国際法上の論点
存立危機事態が認定されれば、自衛隊は他国領域において集団的自衛権を行使し、機雷掃海などの武力行使を含む活動を行うことが法的可能となる 。しかし、これには極めて高いハードルとリスクが伴う。
- 武力行使の新三要件: 他に適当な手段がないこと、必要最小限度であることという要件をどう証明するか。
- 地理的限界: ホルムズ海峡は沿岸国の領海が接する狭隘な海域であり、他国(イラン)の領海内での活動は、イラン軍との直接的な交戦を招く恐れがある 。
- 国内世論の分断: 経済的理由(石油の確保)のために自衛隊員を紛争地に送ることへの国民的コンセンサスは、いまだ得られているとは言い難い 。
7.外交的ジレンマ:日米同盟と中東外交の相克
7.1.「バランス外交」の崩壊
日本は長年、米国との強固な同盟を基軸としつつも、イランとは独自の友好関係を維持し、中東情勢の緊張緩和のための仲介役を試みてきた 。しかし、米国が対イラン攻撃に踏み切った瞬間、この繊細なバランスは崩壊する。米国は日本に対し、制裁への全面参加、資金協力、さらには人的・軍事的な貢献を「同盟の責務」として強く要求するだろう。一方で、イランは日本が米国の行動を容認、あるいは支援することを「敵対行為」と見なし、日本が保有するエネルギー権益を剥奪、あるいは在留邦人や資産を危険にさらす可能性がある 。
7.2.湾岸戦争の教訓と国際的威信
1990年の湾岸戦争時、日本は130億ドルの資金協力を提供したものの、人的貢献がなかったとして国際社会、特に米国やクウェートから厳しい批判を受け、外交的な敗北感を味わった 。今回の事態においても、日本が単なる「資金提供者」に留まることは許されない空気があり、しかし自衛隊の派遣は憲法上の制約と国民感情の壁がある。この外交的な隘路において、日本がどのような選択をするかは、将来的な日本の国際的地位と安全保障環境を決定づけることになる。
岸田政権下では、イランへの資産凍結再開などの措置を講じつつも、対話の窓口を維持しようと苦慮しているが、米国の直接介入が始まれば、もはや「中立的な仲介者」としての居場所はなくなる 。
8.社会・政治的影響:揺らぐ国民生活と政治の混迷
8.1.実生活への直接的打撃とパニックの懸念
軍事攻撃が始まれば、国民生活には即座に物理的な痛みが生じる。ガソリンスタンドには長蛇の列ができ、電気料金やガス料金の急騰が家計を圧迫する 。
- ガソリン価格: 現在の180円/L程度から、補助金が機能しなければ300円/L超まで上昇し、自家用車に頼る地方経済は崩壊的な打撃を受ける 。
- 光熱費: LNGコスト増により、標準的な家庭でも月額5,000円以上の負担増となる可能性がある 。
- 食料品: 輸送コストの上昇がパンや牛乳、冷凍食品などの身近な食品の値上げを連鎖的に引き起こす 。
情報化社会の現代においては、SNSを通じたデマやパニックが情報の空白を埋めるように拡散し、トイレットペーパーの買い占め騒動のような社会混乱が、より大規模かつ深刻な形で再来するリスクがある。
8.2.内政上の混乱と選挙への影響
政治的には、物価高騰と自衛隊派遣の是非が最大の争点となる。特に7月20日に参議院選挙が控えているようなタイミングで紛争が拡大すれば、有権者の不安は現政権への不信感へと転換されやすい 。政府がどのような「貢献」を打ち出しても、右派・左派双方からの批判は避けられず、政権基盤が揺らぐことで、危機管理そのものが機能不全に陥る懸念がある。
9.結論:レジリエンスの再構築に向けて
米国による対イラン攻撃は、日本にとって「物理的な生存」を脅かす極大のリスクである。本分析を通じて明らかになったのは、日本のエネルギー・経済構造がいかに中東という特定地域の一時的な情勢変化に脆弱であるかという冷厳な事実である。94%に達する中東依存度は、日本が自国の経済政策を自律的に決定する余地を著しく制限している 。
短期的には、戦略的石油備蓄の迅速な放出、為替・金融市場の安定化措置、そして物価高騰に対する家計への直接支援が不可欠である 。しかし、これらはあくまで「延命策」に過ぎない。長期的には、米国産エネルギーの導入拡大(2025年12月にはすでにその兆しが見られた)や、再生可能エネルギー、原子力の再定義を含む、真の意味でのエネルギー・ミックスの多角化が急務である 。
また、法制面においては、「存立危機事態」という定義が持つ経済的側面と軍事的側面の境界線について、国民的な議論を深めておく必要がある。石油が止まることが直ちに「武力行使」の理由になるのかという問いに対し、透明性のある解釈を確立しておくことは、有事の際の政治判断の遅れを防ぐ唯一の道である 。
米国による対イラン攻撃というシナリオは、単なる可能性の議論を超え、日本という国家の「レジリエンス(復元力)」が試される最大の試練となる。その影響は多岐にわたるが、共通して言えるのは、平時における「リスクの分散」と「備えの可視化」がいかに重要かということである。日本はこの危機を、過去の教訓を活かして乗り越えるのか、あるいは再び深い敗北感を味わうことになるのか。その分水嶺は、まさに今、私たちが中東という「遠くて近い隣人」とどのように向き合い、自国の背骨をいかに強化するかにかかっている。