パキスタン・アフガニスタン戦争と対イラン「エピック・フューリー作戦」の戦略的交錯
1. 序論:連鎖的危機(Correlation Crisis)の勃発と地政学的構図
2026年2月末から3月にかけて、中東および南アジア地域は、歴史上類を見ない規模の「連鎖的危機(Correlation Crisis)」に見舞われている。金融経済学において、独立して動くはずの資産が同時に暴落する現象を指すこの用語は、現在のユーラシア大陸の地政学的断層線において正確に具現化されている。2026年2月27日、パキスタンがアフガニスタンのタリバン政権に対して事実上の宣戦布告を行い、「ガザブ・リル・ハク作戦(Operation Ghazab Lil Haq:正義の怒り)」を発動した。そのわずか数時間後である2月28日未明、米国とイスラエル主導による対イラン大規模軍事作戦「エピック・フューリー作戦(Operation Epic Fury)」が開始され、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師が殺害された。
これら二つの戦争は、地理的に隣接しているという物理的条件のみならず、複雑な民族的・宗教的断層線を通じて相互に深く作用し合っている。パキスタンは現在、北西部のデュアランド・ライン(アフガニスタン国境)における正規戦、南西部のバルチスタン州(イラン国境)における分離独立派および宗教過激派による非対称戦、そして国内の宗派間対立という「三正面作戦」を強いられており、国家の存立基盤そのものが極めて脆弱な状態に置かれている。本報告書は、2026年3月現在におけるパキスタン・アフガニスタン紛争の最新戦況を精緻に分析するとともに、それがイラン東部国境の治安情勢、特にバルチスタン分離主義やスンニ派武装勢力の活動に与える波及効果を検証する。さらに、これら一連の地域的混乱が、トランプ政権による対イラン包囲網に対してどのような戦略的メリットおよびデメリットをもたらしているかを包括的に評価し、深層の因果関係を解き明かす。
2. パキスタン・アフガニスタン紛争の最新推移(2026年3月現在)
2.1 紛争の背景と「ガザブ・リル・ハク作戦」へのエスカレーション
パキスタンとアフガニスタンの間の緊張は、2021年のタリバン政権復権以降、パキスタン国内で「パキスタン・タリバン運動(TTP)」や「イスラム国ホラサン州(ISKP)」によるテロ攻撃が急増したことに端を発している。2025年10月にはカタールとトルコの仲介による一時的な停戦合意が成立したものの、この合意は長続きせず、国境地帯での小規模な衝突が常態化していた。
事態が決定的な破局を迎えたのは2026年2月である。2月6日、イスラマバードのシーア派モスクでISKPによる自爆テロが発生し31人が死亡、続く2月16日にはバジャウル地区でTTPによるパキスタン軍検問所襲撃が発生し、兵士11人が死亡した。これに対し、パキスタン軍は2月21日から22日にかけて、アフガニスタン東部のナンガルハル州、パクティア州、ホースト州に存在するTTPおよびISKPの拠点に対して越境空爆を実施した。国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)はこの空爆で少なくとも13人の民間人が死亡したと報告し、タリバン側は強硬な報復を誓った。
2月26日の夜間から27日未明にかけて、アフガニスタン・タリバン軍はデュアランド・ライン沿いのパキスタン側国境施設に対し大規模な一斉攻撃を展開した。この事態を受け、パキスタンのホワジャ・アーシフ国防相はタリバン政権との状態を「公然たる戦争(Open War)」と規定し、パキスタン軍は「ガザブ・リル・ハク作戦」を正式に発動した。これは、2021年以降のテロリストのキャンプのみを狙った限定的な越境攻撃とは異なり、タリバン政権の正規軍事施設や政府中枢を直接の標的とする極めて大規模な軍事キャンペーンへの移行を意味する政策転換であった。
2.2 パキスタン軍の攻勢と戦況の推移
「ガザブ・リル・ハク作戦」の開始に伴い、パキスタン空軍および陸軍は、アフガニスタンの首都カブール、精神的中心地であるカンダハル、さらにはパクティア州、ナンガルハル州、ホースト州などの広範な地域に対して空爆と重砲撃を加えた。パキスタン軍の攻撃目標は、タリバンの旅団本部、第205軍団司令部、弾薬庫、兵站基地、ドローン保管施設など、タリバン軍の継戦能力と指揮命令系統を物理的に削ぐことに集中している。
3月上旬におけるパキスタン政府の公式発表によれば、軍事作戦は強行かつ継続的に行われている。シェバズ・シャリフ首相の特別補佐官であるラナ・サナウラは、「ガザブ・リル・ハク作戦における目標はほぼ達成され、現在は陣地の強化段階にある」と宣言し、タリバン政権に対しTTPへの支援を即時かつ検証可能な形で放棄するよう要求している。
| 指標 | パキスタン政府・軍による戦果・被害発表(2026年3月上旬時点) | アフガニスタン・タリバン政権による戦果・被害発表 |
| 敵兵の人的被害 | タリバン兵 527名死亡、755名以上負傷 | パキスタン兵 307名死亡 |
| 自軍の人的被害 | パキスタン兵 12名死亡、27名負傷(初期発表) | タリバン兵 8名死亡、11名負傷(初期発表) |
| 破壊・制圧した拠点 | 237か所の検問所・拠点を破壊(うち38か所は制圧後に破壊) | 64のパキスタン軍前哨基地と7つの基地を占拠・破壊 |
| 兵器・装備の破壊 | 戦車、装甲車、大砲など計 205両/門を破壊 | パキスタン軍車両10両以上破壊、監視ドローン2機撃墜 |
| 空爆の範囲 | アフガニスタン全土で62か所を有効に打撃 | ヌール・カーン空軍基地などパキスタン深部をドローン攻撃 |
この表が示す通り、両者の発表には著しい乖離が存在し、情報戦(インフォメーション・ウォーフェア)の激化が見て取れる。パキスタンは圧倒的な航空優勢を背景にタリバンの正規軍事資産を破壊しているが、同時にSNS等を通じて相手の被害を過大に宣伝することで、国内向けの戦意高揚と正当化を図っている。
2.3 アフガニスタン・タリバン政権の反撃戦術と非対称戦
圧倒的な航空戦力と正規軍の規模を誇るパキスタン軍に対し、アフガニスタン・タリバン政権は、過去20年間の対米ゲリラ戦で培った非対称戦術と、新たに獲得したドローン技術、および国境地帯における地上奇襲を組み合わせた高度な反撃を展開している。
タリバン国防省の発表および現地の報道によれば、アフガニスタン空軍はドローンを利用してパキスタン領内の深部にある重要軍事施設に対して精密攻撃を実施した。標的となったのは、首都近郊ラーワルピンディーのヌール・カーン空軍基地(2025年のインドによる「シンドゥール作戦」でも標的となった重要施設)、クエッタの第12軍団司令部、カイバル・パクトゥンクワ州モフマンド管区のクワザイ・キャンプなど、パキスタン軍の中枢を成す戦略的インフラである。タリバン側は、パキスタンによる更なる領空侵犯や侵略行為に対しては「迅速かつ決定的で相応の対応」をとると警告している。
さらに、アフガニスタンを拠点とするTTPの戦闘員がパキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州の7つ以上の地区に浸透し、検問所を設置して一部地域を実効支配する動きを見せるなど、パキスタン軍の後方を撹乱する作戦も進行している。また、パキスタン空軍の戦闘機がジャララバード上空で撃墜され、パイロットが拘束されたとの報告もあり、タリバン側が限定的ながら防空能力を発揮している可能性が示唆されている。
2.4 人道的影響と無秩序化の波及
両軍による激しい砲撃の応酬と空爆は、デュアランド・ライン周辺の一般市民に甚大な被害をもたらしている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や国際移住機関(IOM)の報告によれば、この紛争によりアフガニスタン側で約11万5,000人、パキスタン側で約3,000人が国内避難民(IDP)として家を追われた。特にアフガニスタン東部および南東部では、インフラの破壊が著しく、トルハム国境にあるIOMのトランジットセンターや20床の救急病院も被害を受けた。
国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)は、2月26日から3月5日までの間に、空爆と国境での衝突によりアフガニスタン側で少なくとも56人の民間人が死亡し、129人が負傷したと記録しており、その死傷者の55%が女性と子供であると警告している。パキスタン国内でも、北ワジリスタン地区で自爆テロが発生し民間人が死傷するなど、暴力の連鎖が市民生活を破壊している。トルハム国境市場では、大規模な火災が発生し150以上の店舗が焼失したが、これはタリバン側が「被害者カード」を切るために自作自演で放火したとの疑惑も浮上しており、戦場の混乱が極まっている。
3. イラン東部国境への波及:バルチスタンにおける分離主義とスンニ派武装勢力の動向
パキスタン・アフガニスタン間の本格的な軍事衝突は、同時期に進行している米国・イスラエルによる対イラン攻撃(エピック・フューリー作戦)と相まって、イランとパキスタンの国境地帯(イランのシスタン・バルチスタン州およびパキスタン領バルチスタン州)に極度の無秩序をもたらしている。この900キロメートルに及ぶ多孔質な国境地域は、長年にわたり民族的分離主義とスンニ派武装勢力の温床となってきたが、二つの戦争によって生じた「権力の空白」が、これらの非国家主体の活動をかつてないレベルにまで押し上げている。
3.1 「人民抵抗戦線(PRF)」の形成と体制転換への野心
イラン東部国境における最も重大な戦術的・イデオロギー的変化は、スンニ派武装勢力の組織的統合と目標の進化である。2025年12月10日、パキスタンを拠点としてイランの治安部隊を長年攻撃してきたスンニ派武装組織「ジャイシュ・アル=アドル(Jaish al-Adl)」が、他の休眠状態にあった複数のバルーチ系武装集団と合流し、巨大な傘下組織「人民抵抗戦線(People’s Resistance Front: PRF / Jabh-e Mobarizin-e Mardomi)」の結成を宣言した。
PRFの結成は、単なるバルーチ人の民族独立運動からの脱却と、イラン全土を巻き込む反体制運動への進化を意味する。同組織の広報担当者は、イランのシーア派聖職者体制(Velayat-e-Faqih)の「独占的権力構造からの解放」を掲げ、クルド人、アラブ人、トルクメン人など、イラン国内の他の被抑圧民族や宗教的マイノリティに対して共闘を呼びかけている。結成当日にPRFはイラン・イスラム革命防衛隊(IRGC)の車列を襲撃し、数名の隊員を殺害するなど、即座にその作戦遂行能力を誇示した。
2026年2月末に米国によるエピック・フューリー作戦が開始され、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師が暗殺されるという事態が生じると、イラン国内の治安機構の指揮命令系統は深刻な混乱に陥った。PRFをはじめとする武装勢力はこの隙を突き、イラン国内において体制側の代表者(ハメネイ師の代表であるタレビ・ファルドなど)の暗殺を強化している。さらに、サルバズ=メフレスターン軸やパフラ・ニシャフル=チャバハール間の幹線道路を封鎖するなど、物理的な交通・補給路の支配に乗り出しており、局地的な実効支配を確立しつつある。
3.2 パキスタン・アフガニスタン紛争がもたらす直接的波及効果
パキスタンが「ガザブ・リル・ハク作戦」のために北西部の対アフガニスタン国境に軍事リソースを集中させていることは、必然的にイラン国境側の警備を手薄にする結果を招いている。この国境管理の機能不全は、以下の深刻なメカニズムを通じて地域の不安定化を加速させている。
第一に、武器弾薬の供給網の活性化である。アフガニスタン国内に残留する武器(特に2021年の米軍撤退時に残された高度な兵器等)が、闇市場や麻薬密輸ルートを通じてバルチスタンを抜け、イラン国内のPRFなどの反体制武装勢力へと流入する経路が太くなっている。パキスタンとアフガニスタンが交戦状態にあることで、国境の密輸ルートの統制が効かなくなり、武装勢力にとって理想的な兵站環境が構築されている。
第二に、地下経済と密輸の拡大である。イラン側の統治能力低下と経済制裁の影響により、イラン産燃料等の密輸業(ソークバル:Sookthbar)が急増している。戦争によるインフレと燃料不足に苦しむパキスタンのマクラン地域(グワダル、トゥルバットなど)の住民にとって、この非公式貿易は生命線となっているが、同時にこれがPRFやパキスタン国内のバルチスタン解放軍(BLA)といった武装勢力の資金源として機能する「パラレル・エコノミー」を形成している。
3.3 バルチスタン解放軍(BLA)の高度化と「分離主義の伝染」
パキスタンにとって最悪のシナリオは、イラン側の武装勢力の活発化が、自国に対する「分離主義の伝染(Secessionist Contagion)」を引き起こすことである。パキスタン国内で活動する世俗的な分離独立派であるバルチスタン解放軍(BLA)は、この権力の空白を利用して急速に戦術を高度化させている。
2026年1月末、BLAは「ヘロフ作戦(Operation Herof)」の第2フェーズを実行し、ヌシュキ市を5日間にわたって実効支配するという前例のない攻撃を行った。また、2025年3月に発生したジャファル・エクスプレス乗っ取り事件(乗客400名以上を人質に取り、少なくとも26名を殺害)に見られるように、彼らの作戦は従来の散発的なヒット・アンド・アウェイから、領域支配型の大規模な協同攻撃へとシフトしている。
イラン政府は歴史的に、パキスタンがPRF(旧ジャイシュ・アル=アドル)の越境を黙認していると非難しており、パキスタン側もイランがBLAに隠れ家を提供していると非難してきた。イランが国家崩壊の危機に直面し、国内のスンニ派反乱を鎮圧するためにパキスタン領内への越境攻撃(2024年に見られたようなミサイル攻撃)を再開すれば、パキスタンは東部(インド)、北西部(アフガニスタン)に次いで、南西部でも正規戦のリスクを抱えることになる。両国の対立が深まれば、パキスタンの領土保全を脅かす「大バルチスタン(Greater Balochistan)」構想を掲げるBLAに対して肥沃な土壌を提供し、パキスタンの国家統合そのものが崩壊する危険性が極めて高まっている。
4. 国際政治的な戦略:トランプ政権(2026年)の二重アプローチ
2026年のトランプ政権は、中東(対イラン)と南アジア(パキスタン・アフガニスタン)という隣接する二つの紛争に対して、著しく異なる非対称な戦略的アプローチを採用している。これは、米国の「アメリカ・ファースト」の理念に基づく厳格な利益衡量と、軍事リソースの選択的集中、そして同盟国への責任転嫁(オフショア・バランシング)を色濃く反映したものである。
4.1 対イラン「エピック・フューリー作戦」の強硬的関与
対イラン政策において、トランプ政権は外交による漸進的な解決に見切りをつけ、体制転換(レジームチェンジ)を最終目的とした圧倒的な軍事力の行使を選択した。2026年2月28日午前1時15分に発動された「エピック・フューリー作戦」は、米中央軍(CENTCOM)の指揮下で、B-52戦略爆撃機やトマホーク巡航ミサイルを駆使し、開始から数日間で3,000以上の標的を打撃する歴史的な規模の空爆作戦となった。
トランプ大統領およびピート・ヘグセス国防長官が明言したこの作戦の4つの主要な軍事目標は以下の通りである。
- 核兵器取得の完全阻止:イランの核開発インフラへの不可逆的なダメージの付与。
- 弾道ミサイル能力の破壊:ミサイル兵器庫、製造施設、移動式発射台の殲滅。
- プロキシ・ネットワークの弱体化:中東全域(イラク、シリア、レバノン、イエメン)に展開するIRGCの支援網の切断。
- 海軍力の殲滅:ペルシャ湾およびオマーン湾におけるイラン海軍艦艇および潜水艦の破壊(最初の数日で43隻の艦艇が損傷または破壊されたと報告されている)。
作戦の初日に最高指導者ハメネイ師を暗殺するという「斬首作戦」を成功させたことは、この軍事行動が単なるインフラ破壊に留まらず、イランの政治的・宗教的指導体制の中枢機能を麻痺させ、国内の不満層(抗議デモ参加者や少数民族)による蜂起を促すことを意図したものであることを如実に示している。トランプ大統領はビデオ声明で、イラン国民に向けて「数世代に一度のチャンスを掴み、国を取り戻せ」と直接呼びかけ、外部からの軍事的圧迫と内部からの体制崩壊を同期させる「最大圧力」の究極形態を展開している。
4.2 パキスタン・アフガニスタン紛争に対する放任と支持の混在
一方で、同じく重大な地域紛争であり、核保有国が関与しているパキスタン・アフガニスタン間の「開かれた戦争」に対して、トランプ政権は直接的な軍事介入や積極的な調停を意図的に回避している。それどころか、米国の立場はパキスタンの軍事行動に対する明示的な支持に傾いている。
紛争激化のさなか、トランプ大統領は記者団に対し、パキスタンのシャリフ首相および軍トップのムニール陸軍参謀長との個人的かつ良好な関係を強調し、「パキスタンは驚くほどうまくやっている(doing terrifically well)」と公然と称賛した。また、米国務省は、テロ組織(TTP等)の脅威に対する「パキスタンの自衛権」を支持する公式声明を出しており、事実上、パキスタンのアフガニスタン領内への空爆にお墨付きを与えている。
4.3 両戦略の比較と米国の根底にある地政学的計算
この二重アプローチの根底には、米国の明確な地政学的計算が存在する。イランに対しては、イスラエルの安全保障と中東のエネルギー輸送路(ホルムズ海峡)の確保という米国の死活的国益が直接脅かされていると認識しており、自国の軍事アセットをフル投入している。
対照的に、アフガニスタンに関しては、2021年の米軍撤退(ドローン協定に基づく)によってすでに「終わった戦争」と認識している。米国は、アフガニスタンのテロリスト(特にアルカイダやISKP)が再び米国本土の脅威となることを防ぐという目的を、地域の大国であるパキスタン軍に「アウトソーシング(外注)」しているのである。パキスタンが自国のリソースでタリバン政権を叩き、テロの温床を破壊してくれるのであれば、米国にとっては外交的カバー(口先での支持)を与えるだけで目的が達成できる極めてコストパフォーマンスの良い戦略となる。
5. 戦略的評価:パキスタンの不安定化は対イラン包囲網にとってメリットかデメリットか?
しかし、トランプ政権のこの計算は、地域全体が連動する「相関の危機」の力学を過小評価している。パキスタン・アフガニスタン紛争に伴うパキスタン自身の不安定化は、米国の対イラン包囲網(エピック・フューリー作戦)に対して、イランの軍事力を分散させるという一部の戦術的メリットをもたらすものの、マクロ的な戦略的視点からは、それをはるかに凌駕する致命的なデメリットを生み出している。
5.1 戦術的メリット:イラン治安リソースの分散と東部戦線の弱体化
パキスタンの不安定化が米国にとってメリットとなる唯一の側面は、イランの治安維持能力を限界まで引き延ばす「過剰展開(Overstretch)」を強要できる点にある。
パキスタンが対アフガニスタン戦争(ガザブ・リル・ハク作戦)に注力し、イラン国境の警備が手薄になることで、前述の「人民抵抗戦線(PRF)」のような反体制派武装勢力が活発化する。イラン政権は、西側(イスラエル・米国)からのミサイル攻撃や防空網の破壊に対応する一方で、東部のシスタン・バルチスタン州におけるスンニ派の反乱鎮圧にも革命防衛隊(IRGC)の貴重な地上部隊や資源を割き続けなければならない。これは、トランプ政権が意図する「イラン国内の治安機構の弱体化と体制の内部崩壊」という目標を、米国の血を流すことなく間接的に促進する効果を持つ。
5.2 戦略的デメリット1:分離主義の伝染によるパキスタンの離反
しかし、この地域的混乱は、米国にとって決定的なデメリットを生み出している。最大の懸念は、米国がイランの体制転換を促進するために少数民族の武装組織(クルド人やバルーチ人)を暗黙裏に支援・扇動するアプローチが、同盟国であるパキスタンの「国家の領土保全」に対する存立危機を直接的に刺激していることである。
パキスタンは、自国内のバルチスタン解放軍(BLA)による激しい分離独立運動に直面している。米国がイラン体制を打倒するためにイラン領内のバルーチ人武装勢力(PRF)を軍事的・政治的に勢いづかせれば、その力、兵器、そして「独立」というイデオロギーは容易に国境を越え、パキスタン国内のBLAを強化することに繋がる。この「分離主義の伝染(Secessionist Contagion)」を極度に恐れるパキスタン政府は、自国の領土保全を最優先せざるを得ない。結果として、パキスタンは米国の対イラン有志連合への参加や軍事基地の提供、あるいは作戦への後方支援の要請に対して極めて消極的な姿勢をとることになる。米国のイラン体制転換政策そのものが、パキスタンやイラク、トルコといった地域のパートナーから米国を外交的に孤立させる強力な遠心力として機能してしまっているのである。
5.3 戦略的デメリット2:サウジアラビアとの防衛協定と巻き込まれリスク
さらに、パキスタンの不安定化は中東の同盟ネットワークに亀裂を生じさせる。パキスタンは2025年9月にサウジアラビアと相互防衛協定を結んでいる。イランがエピック・フューリー作戦への報復として、米国の同盟国であるサウジアラビアや湾岸諸国のインフラをミサイルで攻撃した場合、パキスタンは条約上、サウジアラビア防衛のために軍や防空システムを派遣する義務が生じる。
しかし、アフガニスタンと事実上の全面戦争状態(ガザブ・リル・ハク作戦)にあり、国内でBLAとTTPのテロに対処している現在のパキスタン軍には、中東の広域紛争に戦力を割く余裕は一切ない。パキスタンが条約上の義務を果たせなければ、米国の戦略的パートナーであるサウジアラビアの防衛網に重大な穴が空き、中東における米国の同盟アーキテクチャ全体の信頼性が揺らぐことになる。
5.4 戦略的デメリット3:パキスタン国内のシーア派反乱リスク
最後に、パキスタンにはイラン国外で最大規模のシーア派人口が存在するという人口動態的現実がある。米国とイスラエルによるハメネイ師の暗殺は、パキスタン国内のシーア派コミュニティを激怒させており、カラチやギルギット・バルティスタン州など各地で大規模な反米・反政府デモや暴動が勃発している。カラチではデモ隊が米国領事館を突破しようとし、米海兵隊が発砲する事態にまで発展し、多数の死者を出した。
これ以上のイラン情勢の悪化と米国の強硬姿勢は、パキスタン国内にシーア派とスンニ派の本格的な内戦(セクト間暴力)を誘発する恐れがある。核保有国であるパキスタンが宗派間抗争によって統治不能に陥ることは、米国の安全保障上、イランの核開発よりもはるかに深刻で制御不能な悪夢(Nightmare scenario)をもたらす。
6. 結論:多重発火状態における戦略的誤算の危険性
以上の分析から、パキスタンの不安定化は、トランプ政権の対イラン包囲網(エピック・フューリー作戦)にとって、局地的な利点を遥かに超える**「決定的なデメリット(阻害要因)」**として機能していると結論づけられる。
トランプ政権は、エピック・フューリー作戦を通じてイランの非核化と体制の解体という「マクロの目標」を迅速に達成しようと試みている。しかしその一方で、隣接するパキスタンとアフガニスタンが「ガザブ・リル・ハク作戦」を通じて全面的な抗争に陥っている事態を看過し、さらにはパキスタンを賞賛して放置するアプローチをとったことで、中東から南アジアに至る広大な地域を制御不能な「多重発火状態」に追いやっている。
パキスタンは核保有国であり、その国家体制がTTP、BLA、シーア派の暴動、そしてアフガニスタン正規軍との衝突によって機能不全に陥ることは、世界の安全保障にとって許容できないリスクである。米国の対イラン戦略は、イラン国内の体制転換を焦るあまり、周辺国が最も恐れる民族分離主義のパンドラの箱を開け、結果としてパキスタンなどの潜在的な協力国を非協力的な防衛姿勢へと追い込んだ。戦略的観点から見れば、パキスタン・アフガニスタン間の紛争終結とパキスタンの安定化こそが、イランの将来を規定するいかなるシナリオにおいても、地域的破局を防ぐための絶対的な前提条件であったと言わざるを得ない。米国は戦術的な軍事作戦では圧倒的な優位性を示しているものの、これら複合的な危機の連鎖を管理する戦略的ビジョンにおいては、深刻な盲点を抱えている。