現代社会におけるスケープゴート・メカニズムの多層的分析:デジタル空間、ポピュリズム、技術的停滞の交差点
ルネ・ジラールが提唱した「模倣の欲望(Mimetic Desire)」およびそれに起因する「スケープゴート・メカニズム」は、元来、古代の宗教的儀式、神話の構造、そして文化の起源を解き明かすための文化人類学的・文学的アプローチとして構築された。ジラールの哲学的・人類学的な探求は、人間社会がいかにして内部崩壊の危機を回避し、秩序を維持してきたかという根源的な問いに対する解答を提供している 。しかし、情報通信技術が極限まで発達し、グローバリゼーションと資本主義の矛盾が露呈している現代社会において、この理論は単なる古典的な学説の域を完全に超えている。ソーシャルメディア(SNS)における無慈悲な「キャンセル・カルチャー」や「炎上」、現代ポピュリズム政治における巧妙な「敵」の構築、そして経済的・技術的停滞の責任を特定の企業や富裕層に転嫁する社会的動学のすべてを読み解くための、極めて精緻かつ強力な分析枠組みとして機能しているのである 。
本稿は、ジラールの理論を分析の基座に据え、SNS時代のデジタル空間における集団的バッシングの儀式化、ポピュリズムによる移民や新興テクノロジーのスケープゴート化、そしてピーター・ティールらの視座を通じた「技術的停滞」と構造的欠陥の隠蔽について、網羅的かつ深層的な分析を行う。表面的な社会現象の列挙にとどまらず、それらがどのように相互に共鳴し、社会が直面する本質的な議論や構造的変革を回避する力学として機能しているのかを検証する。
ルネ・ジラールの「模倣の欲望」とキャンセル・カルチャーの理論的接続
人間の欲望は、フロイトが主張したような内発的かつオイディプス的なテーマに起因するものではなく、他者の欲望を模倣することから生じるという「模倣の欲望」の概念こそが、ジラールの理論の核心である 。人間は、モデル(他者)が欲する対象を模倣して欲求を抱く。この模倣のプロセス自体は学習や共感の基盤となる肯定的な側面を持つ一方で、必然的に対象を巡る他者との激しい競合(Mimetic Rivalry)を引き起こす 。資源や地位が有限である(あるいは有限であると認識される)状況下において、この競合は増幅し、共同体内部に暴力的な緊張状態とカオス(無秩序)を蓄積させる 。
ソーシャルメディアは、この模倣的欲望をアルゴリズムによって可視化し、かつてない速度と規模で増幅させる「模倣の加速装置」として機能している。社会全体の閉塞感、経済的不安、あるいはアイデンティティの危機が閾値を超えた時、共同体は自己破壊を防ぐために、その張り詰めた緊張と暴力を単一の対象へと投影し、外部へ排除しようとする。これが「スケープゴート・メカニズム」の発動である 。SNSにおけるキャンセル・カルチャーや炎上は、古代の生贄の儀式がデジタル空間において精巧に反復・変容されたものに他ならない。この儀式のプロセスは、大きく以下の三つの力学によって支えられている。
全員が同じ対象を攻撃することで得られる「擬似的な連帯感」
SNSにおける集団的バッシングの最大の推進力は、道徳的優越感と正義の執行によって得られる「擬似的な連帯感」の創出である 。ジラールが指摘するように、共同体内部で相互に敵対し、競争関係にあった人々は、共通の「敵(スケープゴート)」を見つけることで劇的に和解し、暴力の矛先を一致させる 。かつての敵同士が、生贄を葬り去るという共通の目的において友となるのである。
SNS上では、「いいね」や「リツイート(リポスト)」、「共有」といった模倣的行動を通じて、個人の責任が匿名性の陰に隠蔽された群衆(モブ)が瞬時に形成される。特定の著名人や一般人を一斉に攻撃することで、参加者は自らの道徳的潔白を確認し、現代社会の不確実性や自身の無力感から目を背けることができる。しかし、この連帯は真の相互理解や社会構造の改善に向けた本質的な協働に基づくものではない。それは単に「共通の敵への憎悪」によって仮留めされただけの極めて脆弱で「擬似的」な結束(Pseudo-solidarity)に過ぎず、スケープゴートが消滅すれば直ちに崩壊し、再び内部対立へと回帰する運命にある 。
攻撃対象が選ばれる際の「異質性」と「代表性」の矛盾
スケープゴートが選定される過程には、極めて特有のパラドックスが存在する。犠牲者は、共同体から二つの相反する性質を同時に見出されなければならない。それが「異質性(Heterogeneity)」と「代表性(Representativeness)」の矛盾である 。
第一に、犠牲者は共同体の中心から外れた「異質」な存在、すなわち周辺的なマイノリティ、外国人、あるいは特異な言動をとる個人でなければならない。なぜなら、共同体の中心にいる強大な権力者を標的にすれば、深刻な報復を招き、社会秩序そのものが崩壊する危険があるからだ 。報復の恐れがない安全な対象であることが、生贄の絶対条件である。第二に、それと同時に、犠牲者は共同体全体が抱える罪、穢れ、あるいは不満の「根源」として見なされるほどに「代表的」な存在として意味付けられなければならない。古代においては、王や神聖な動物が選ばれたように、現代においても特定の職業階層の代表や、ある種のイデオロギーを象徴する人物が選ばれる 。
SNSの炎上において、このパラドックスは鮮明に現れる。標的となる個人の些細な失言や、過去の不適切な投稿、あるいはマイノリティ属性が「異質性」を担保する。そして、その個人が「特権階級の傲慢さ」「企業の強欲さ」あるいは「特定の政治的偏向」を体現するシンボルとして過剰に意味付けられることで、「代表性」を獲得する 。この矛盾した条件を満たした瞬間、一人の人間や一つの組織は、社会のあらゆる悪と閉塞感を背負う「器(ヴィークル)」へと変貌するのである。
犠牲者排除後に訪れる一時的な沈静化とサイクルの反復
生贄が社会的に抹殺(キャンセル)された後、SNS空間および社会全体には、一種のカタルシスと「集団的な安堵のため息(Collective sigh of relief)」がもたらされる 。諸悪の根源が排除され、共同体に平和と秩序が回復したかのような錯覚が生じるからである。ジラールは、人類の文化や宗教的儀式そのものが、このスケープゴート・メカニズムによる暴力の鎮静化の記憶を神話化したものであると主張した 。
しかし、現代におけるキャンセル・カルチャーがもたらす平和は極めて一時的かつ欺瞞的である。なぜなら、社会の底流にある根本的な原因——経済的格差、雇用の不安定化、資本主義の構造的欠陥、実存的な孤独感——は手付かずのまま放置されているからだ 。根本原因が解決されていないため、共同体の内部には再び模倣の欲望による競争とフラストレーションが蓄積を開始する。結果として、SNSの群衆は新たな擬似的な連帯とカタルシスを求めて、永遠に次のスケープゴートを探し続けるという「終わりのない魔女狩りのサイクル」に囚われることになる。
デジタル・SNS空間における集団的バッシングの事例検証(2023–2025年)
過去3年間のSNS(主にXやReddit)において発生した大規模な炎上事例を分析すると、それらが単なる「正当な企業批判」や「個人の過ちへの非難」を逸脱し、社会全体の閉塞感の出口としての「生贄の儀式」と化している構造が浮き彫りになる。特定の不祥事や発言が、なぜその個人の責任を超越して過剰なバッシングへと発展したのか。以下に象徴的な5つの事例を提示し、背後にある社会心理を検証する。
| 事例(発生年) | 攻撃対象(スケープゴート) | 発端となった事象と表層的理由 | 背後にある社会的不安と構造的フラストレーション | 儀式としての機能と結果 |
| Unity価格改定騒動 (2023年) | John Riccitiello (Unity元CEO) | ゲームエンジン「Unity」のランタイム料金(インストール数に基づく課金)導入の電撃的発表 。 | インディーゲーム開発者の経済的困窮と、巨大プラットフォームへの絶対的な依存関係に対する根源的な恐怖と無力感。 | 複雑な企業収益モデルの課題とプラットフォーム資本主義の暴力性が「強欲なCEO個人の罪」へと還元された。CEOの辞任により、コミュニティは問題を解決したという一時的なカタルシスを得た 。 |
| Reddit API有料化抗議 (2023年) | Steve Huffman (Reddit CEO / アカウント名: u/spez) | サードパーティ製アプリを事実上排除するAPI利用料の大幅引き上げと強硬なコミュニティ弾圧 。 | 「開かれたインターネット」の終焉、無償労働(モデレーター)を搾取するテック資本主義への怒り、ユーザー自治の喪失。 | コミュニティによる大規模なストライキ(ブラックアウト)は構造的変革をもたらさなかったが、CEO個人への極端な個人攻撃とミーム化が永続化し、敗北のルサンチマンを消費し続ける儀式となった 。 |
| Adobe AI利用規約炎上 (2024年) | Adobe(企業体および経営陣) | 生成AIの学習にユーザー固有のコンテンツが使用されると解釈された利用規約の不透明な改定 。 | 生成AIの爆発的台頭によるクリエイターの「存在意義の喪失」、著作権の侵害、および労働市場からの排除という実存的恐怖。 | Adobeという市場独占企業を「人間の創造性を喰らう怪物」として規定し一斉に叩くことで、クリエイター間での擬似的な連帯と、自身の職業的アイデンティティの自己正当化を図った 。 |
| TikTok禁止法案と米国公聴会 (2024年) | Shou Zi Chew (TikTok CEO) | 米国議会におけるTikTok事業売却・禁止法案の審議および公聴会での苛烈な追及 。 | 中国の地政学的・技術的台頭に対する米国の覇権喪失の恐怖。若年層のデータ流出とアルゴリズム支配による国家安全保障上の不安。 | 複雑なデータ資本主義とグローバル安全保障の問題が、シンガポール人CEOの出自や忠誠心に対する執拗な詰問へと矮小化され、国家の敵としての「異物」排除の魔女狩り儀式へと変質した 。 |
| 無名個人の過去の発掘と共同体内のスケープゴート化 (2023-2025年) | 地域のスポーツコーチ、一般社員、家族内の特定個人 | RedditのCPTSDコミュニティ等で報告される、数十年前のSNS投稿の発掘や、閉鎖的地域社会における濡れ衣や集団的村八分 。 | 現代社会の過剰な道徳的潔癖主義(ハイパー・モラリズム)、閉鎖的なコミュニティにおける同調圧力、社会的流動性の欠如による不満の蓄積。 | 対象が社会的に完全に無力であるため反撃の恐れがなく、コミュニティの「純化」を証明するための最も安全な生贄として消費される。集団的自己愛(Collective Narcissism)の維持装置として機能した 。 |
これらの事例から導き出される二次的・三次的な洞察は、攻撃対象の選定が決して偶然ではないということである。UnityのRiccitiello氏やRedditのHuffman氏が猛烈なバッシングを浴びたのは、彼らが企業戦略を誤ったからという表層的な理由だけではない。彼らは、デジタル・プロレタリアート(インディー開発者や無償のモデレーター)が日頃から抱えている「プラットフォームに対する絶対的な従属」という構造的な絶望を吸収するための、完璧な「代表的悪役」として機能したのである。彼らを「強欲な悪魔」としてスケープゴート化することで、ユーザーは巨大な資本主義構造に対する自身の圧倒的な無力感から目を逸らし、「悪いのはこの個人であり、彼を排除すれば我々のコミュニティは救われる」という単純明快な物語の中に逃避した 。
Adobeの事例も同様である。テクノロジーの進化(生成AIの普及)という、個人の力では到底抗えないマクロの波に対し、明確な攻撃対象(不明瞭な利用規約と巨大ソフトウェア企業)を設定することで、クリエイターたちは「人間性の擁護」という大義名分の下で擬似的な連帯感を得るためのプロセスを遂行した 。TikTokのCEOに対するアメリカ議会の公聴会は、これがSNS上の群衆心理だけでなく、国家権力レベルでも行われる儀式であることを如実に示している。グローバルな情報収集機構という複雑な法と安全保障の懸念が、一人の個人の国籍や共産党への忠誠心を詰問する冷戦期さながらの魔女狩りへとスライドしていく様は、スケープゴートの典型的な「異質の排除」プロセスである 。
さらに特筆すべきは、Reddit等で顕著に観察される、無名の一般人に対する日常的なスケープゴート化である。数十年前の些細な発言という「罪」は、現代のモラルから見れば異質であるが、同時に誰しもが過去に犯し得た過ちという点で代表性を持つ 。あるいは、閉鎖的な地域社会や機能不全家族において、特定の個人(多くの場合、感受性が強い、あるいは自立的な個人)にすべての責任を押し付け、集団的自己愛(Collective Narcissism)を維持しようとする力学である 。このような安全な生贄を葬ることで、人々は「自分は道徳的に清廉である」「我々の共同体は正常である」という自己欺瞞を強固にする。ここには、問題の根本的解決ではなく、集団の心理的安定のみを目的とした残酷な無意識のメカニズムが横たわっている。
政治・地政学的な「敵」の構築とポピュリズムの修辞学
スケープゴート・メカニズムは、デジタル空間の自然発生的な群衆心理にとどまらず、現代のポピュリズム政治において、権力を掌握し支持層を強固に結束させるための意図的な政治技術(テクノロジー)としてシステム化されている。政治家は、社会が直面する多重危機(ポリスライシス:インフレーション、経済格差、住宅不足、社会保障の機能不全、パンデミックの後遺症など)の複雑な原因を、単一の「外部の敵」へと還元し、大衆のルサンチマンを特定の対象に誘導する 。
移民グループの「異物」化と構造的失敗の隠蔽
現代のポピュリズムにおいて、最も古典的かつ強力なスケープゴートとして利用され続けているのが、移民や難民である 。アメリカにおけるドナルド・トランプ氏を中心とするMAGA(Make America Great Again)運動から、ヨーロッパ全土を席巻する右派ポピュリズム(フランスの国民連合、ドイツのAfD、イタリアの同胞など)に至るまで、移民は「社会の諸悪の根源」として一貫して位置づけられている 。
ここでの修辞学(レトリック)の核心は、移民を単なる労働市場の競争相手として論じるのではなく、国家の純潔を脅かす「病原体」や「動物」、あるいは「犯罪者の軍隊」といった非人間的(dehumanizing)なメタファーを用いて描写することにある 。例えば、トランプ氏による「彼らは我々の国家の血を汚している(poisoning the blood of our country)」というヒトラー的修辞や、移民がペットを食べているといった荒唐無稽な虚偽の拡散は、錯覚的真相効果(illusory truth effect:反復されることで嘘が真実として認知される現象)を用いたプロパガンダであり、支持者に恐怖と嫌悪を植え付け、模倣の暴力を扇動する典型的な手法である 。
このスケープゴート化の真の政治的・経済的目的は、政治家やエリート層自身の失政、あるいは新自由主義的なグローバリゼーションがもたらした構造的欠陥からの「大衆の視線の逸らし」である。賃金の長期的な停滞、フェンタニルなどによる公衆衛生危機、慢性的な住宅価格の高騰といった複雑なマクロ経済的問題は、一般市民にとって理解が難しく、怒りを向ける対象が抽象的になりがちである。そこに「不法移民」という目に見える、物理的な「スケープゴート」を提供することで、大衆は複雑な思考を放棄し、「彼らを一掃・追放すればすべてが解決する」というカタルシスに満ちた幻想に酔いしれることができる 。ジラールが指摘したように、この暴力的な儀式が機能するためには、迫害する側の大衆が「これは正当な自己防衛である」と本気で信じ込み、自らが理不尽なスケープゴート・メカニズムに加担しているという事実に対して完全に無自覚でなければならないのである 。
新興テクノロジー(AI)の政治的スケープゴート化とテクノポピュリズム
移民に加えて、近年新たな「異物」としてポピュリズムの標的になりつつあるのが、人工知能(AI)をはじめとする新興テクノロジーである。AIは実際に、偽情報の生成やディープフェイクを通じた選挙介入(例:2024年米大統領選におけるバイデン大統領の偽音声ロボコールによる投票妨害や、ハリス副大統領の偽動画の拡散など)といった現実的な民主主義への脅威をもたらしている 。しかし、政治的次元においてAIは、現実の技術的・法的な課題を超えて、「人類の存亡に関わる実存的脅威」や「冷酷なエリート層による支配の道具」として過剰に神話化され、スケープゴートとして利用されている 。
「テクノポピュリズム(Technopopulism)」と呼ばれる新たな政治潮流では、AIが奪うとされる雇用に対する根源的な不安(マッキンゼーの予測では2030年までに米国で1200万人の労働者が影響を受けるとされる)が、既存の政治システムへの不満と巧妙に結び付けられる 。政治家は「AIという制御不能で非人間的なエイリアン的脅威から一般市民を守る」というヒロイックな物語を展開し、自らを反エリートの救世主として位置づける。ここでは、AI技術そのものが持つ複雑な社会的影響——すなわち、誰がそのデータを所有し、誰が利益を独占しているのかという資本主義的権力構造の問題——が完全に捨象され、単に「AI技術=悪」という二元論にすり替えられる 。
AI Now Institute等の政策分析が示唆するように、AIを巡る議論は本来、進歩の是非ではなく「権力の偏在」に関する闘争であるべきだ。しかし、AIを抽象的な「人類共通の敵」としてスケープゴート化することで、ビッグテック企業による市場独占の容認や、データ・プライバシー規制の失敗という政府の本質的な政治的責任が巧妙に回避されているのである 。
経済・テクノロジーの停滞とビッグテックの生贄化:構造的欠陥からの逃避
スケープゴート・メカニズムは、マクロ経済やテクノロジーの構造的な停滞を分析する際にも、極めて重要な視座を提供する。この文脈において、シリコンバレーの著名な投資家であり、ルネ・ジラールの教え子でもあるピーター・ティール(Peter Thiel)の思想と彼への批判的分析は、現代社会の病理を読み解く上で示唆に富んでいる 。
「Bit」と「Atom」の分断に基づく技術的停滞
ティールは、西欧社会が1970年代以降、深刻な「技術的停滞(Technological Stagnation)」に陥り、長期的な世俗的衰退を経験していると主張する。彼の有名なテーゼ「我々は空飛ぶ車を欲したが、得られたのは140文字(のSNS)だった」が鋭く指摘する通り、エネルギー、航空宇宙、医療、新素材、製造業といった物理世界(Atoms)におけるイノベーションは著しく停滞し、ITや通信といった情報世界(Bits)における漸進的(インクリメンタル)な改良のみが過剰に発展を遂げた 。
この根本的な停滞の根底にあるのも、ジラール的な「模倣の欲望」であるとティールは分析する。シリコンバレーの起業家やエリート層は、真に新しい価値を創造し人類の課題を解決する「ゼロ・トゥ・ワン(0から1)」のイノベーションに挑むのではなく、他者が既に価値を見出しているビジネスモデルを模倣し合い、微細な市場のパイを奪い合う激しい模倣的競合(Mimetic Rivalry)に陥っている 。激しい競争はイノベーションを阻害し、人々の関心を奪い合うアテンション・エコノミーの中で、嫉妬、ルサンチマン、そして模倣的暴力が培養される 。
さらにティールは、この停滞を持続させている要因として、エリート機関(メディア、大学、政府資金援助を受けるNGOなど)が結託して革新的だが論争を呼ぶアイデアを抑圧する「分散型アイデア抑圧複合体(Distributed Idea Suppression Complex: DISC)」の存在を指摘し、現代社会が体制を維持するために新しい思考をスケープゴートとして排除していると論じる 。
ビッグテックと富裕層のスケープゴート化
社会全体がこの長期的な経済成長の鈍化、実質賃金の低下、そして「世俗的停滞(Secular Stagnation)」に直面する中、人々の鬱積した不満はどこへ向かうのか。ここで再びスケープゴート・メカニズムが大規模に機能する。ティールによれば、メディアや政治階級は、社会が直面している根本的なイノベーションの欠如や制度的疲労という「不都合な真実」に向き合うことを避け、特定の職業階層、巨大テック企業(ビッグテック)、あるいは億万長者をスーパーヴィラン(悪役)としてスケープゴート化している 。
かつて「情報の民主化の担い手」として無条件に礼賛されたシリコンバレーのプラットフォームは、2016年のトランプ大統領当選やブレグジットを経て、一転して「ポピュリズムと偽情報の温床」として非難の的となった 。リベラル派は、ビッグテックの「過剰な自由」とアルゴリズムが民主主義を破壊したと攻撃する。一方、保守派は、ビッグテックによる「検閲とプラットフォームからの追放(Deplatforming)」が言論の自由を奪い、伝統的価値観を破壊していると激しく攻撃する 。
政治的スペクトルの左右両派が共通してビッグテックを「悪」と規定し、公聴会や訴訟を通じて攻撃を強めている現状は、まさに対立する集団が単一の生贄を共有することで、社会の擬似的な秩序と自己正当性を保とうとするジラール的儀式そのものである。
構造的議論の回避とエリート主義の正当化(メタ的スケープゴート)
しかし、スティーブン・ディール(Stephen Diehl)らの批判的分析が指摘するように、ティールの主張自体が抱えるメタ的な自己矛盾とイデオロギー性も無視することはできない 。ティールは、ビッグテックへの批判が「技術的停滞」という真の問題から目を逸らすためのスケープゴートであると主張するが、同時に彼自身も「模倣の危機」や「キリスト教的終末論的恐怖」といった単一の原因論(モノカウザルな説明)を用いて、社会の複雑な問題を過度に単純化している 。
ディールの指摘によれば、ティールは資本主義が抱える富の極端な偏在、資源分配の不全、公共投資のシステム的欠如といった内部矛盾を意図的に隠蔽している 。ティールの哲学的な枠組みは、「大衆は本質的に狂気(Madness of crowds)に陥るものであり、民主主義的な熟議プロセスは機能しない」という極端な悲観論を前提としている。そして、社会の停滞を打破するためには、卓越したビジョンを持つ「英雄的な個人(テクノロジー起業家)」によるトップダウンの技術的加速(Definite Optimism)しかないと結論づける 。
これは、スケープゴート理論を自らの都合の良いように解釈・利用し、テクノロジー・エリートによる寡頭支配(オリガルキー)を正当化するレトリックである。富の再分配、労働者の権利、独占禁止法、あるいは民主的なガバナンスといった構造的・政治的な議論を「不毛な模倣的競争」として退けることで、エリート層の権力構造を温存するためのイデオロギー的な上部構造として機能していると言わざるを得ない 。つまり、ビッグテックがスケープゴートにされているというティールの指摘自体は社会現象の一側面を突いているものの、その批判を逆手に取り、「だから我々エリートに全権を委ねよ」とする論理もまた、社会の構造的欠陥から目を逸らさせる新たな神話の構築に他ならないのである。
結論:ネットワーク化された模倣の危機を超えて構造的熟議へ
ルネ・ジラールのスケープゴート理論というレンズを通じて現代社会を俯瞰した本稿の分析が明示するのは、我々が現在直面している分断と危機の多くが、表層的な政治対立や技術的課題の皮を被った「人間固有の模倣的暴力」の露骨な発露であるという冷徹な事実である。
SNS空間における残酷な炎上劇から、ポピュリズム政治における移民やAIの敵視、そしてマクロ経済的停滞の責任をビッグテックに求める動きに至るまで、これらはすべて、社会の根本的な閉塞感を単一の対象へ転嫁しようとする、同一のメカニズムの異なる変奏に過ぎない。情報通信技術の爆発的な発展は、かつて物理的な村落社会に限定されていた模倣と嫉妬の波及を、国境を越えた地球規模のデジタル・ネットワークへと拡張した。その結果、私たちは絶え間なく他者と比較し合い、終わりのない競争とルサンチマンに苛まれ、心の平穏を得るための無限のスケープゴートを要求し続ける「高度にネットワーク化された模倣の危機」の時代を生きている。
ジラールは、キリスト教的啓示の真の歴史的・人類学的価値は、十字架上のキリストを通じて犠牲者が実は「完全に無実」であることを暴露し、人類が太古から隠蔽してきたスケープゴート・メカニズムの暴力を白日の下に晒した(Unveiling)点にあると論じた 。現代社会において、この果てしない犠牲のサイクルを脱却するための第一歩も同様に、徹底的な「暴露」と自己認識にある。
すなわち、我々が日常的に加担しているSNSでの安易な糾弾や、政治家の煽情的なレトリックへの同調、そして特定の企業・階層への盲目的な憎悪が、実は社会の構造的問題(極端な経済的不平等、イノベーションの枯渇、実存的な孤独感、プラットフォーム資本主義による搾取)から目を逸らすための「心理的に安全な儀式」に過ぎないというメカニズムそのものを、主体的かつ批判的に認識することである。
真の社会的な連帯は、他者をスケープゴートとして外部へ排除することで得られる「擬似的な連帯」の先には決して存在しない。複雑に絡み合った構造的欠陥の責任を単一の「悪役」に押し付ける心理的誘惑に断固として抗い、社会制度の再構築、富と資源の公正な分配、そして新興テクノロジーの民主的統制という、本質的だが多大な労力を伴う議論に耐え得る熟議の空間を再構築すること。それこそが、情報化社会における模倣の暴力に対する唯一かつ最強の防波堤となるのである 。