被害者から加害者へ:イスラエルをめぐるナラティヴの劇的転換と国際秩序の危機
1. 序論:歴史的パラドックスとナラティヴの劇的な転換
現代の国際関係において、国家のアイデンティティと国際社会からの知覚(パーセプション)がこれほどまでに劇的な乖離と変容を見せている事例は、イスラエル国家をおいて他にない。1948年の建国以来、イスラエルは長らく「迫害の犠牲者」としての正当性を国際社会において保持してきた。ホロコーストという人類史上の取り返しのつかない悲劇を経験したユダヤ人にとって、自立した国民国家の建設は、絶滅の危機から逃れるための「究極の避難所」であり、防衛的生存権の正当な行使であると見なされてきた。国際社会もまた、この歴史的トラウマに対する深い道義的責任から、イスラエルを「周囲を敵対的なアラブ諸国に囲まれ、常に防衛を強いられる被害者」として認識する傾向が強かった。
しかしながら、21世紀に入り、とりわけ2023年10月のハマスによる奇襲攻撃以降に展開されたガザ地区での大規模な軍事作戦、2025年から2026年にかけての「イエロー・ライン(Yellow Line)」によるガザ空間の事実上の分断と非人道的な軍事支配、さらには2026年2月末のイランに対する予防的先制攻撃を経て、イスラエルを取り巻く国際的なナラティヴは決定的な転換点を迎えている。かつて「絶対的な被害者」であったイスラエルは現在、圧倒的な軍事力を背景にパレスチナの民間人を構造的に抑圧し、国際法を明白に侵犯する「加害者(Aggressor)」として、国際連合、人権団体、およびグローバル・サウスを中心とする多くの国家から厳しく非難されている。
本報告書は、これまで被害者であったイスラエルがいかにして加害者としての側面を露わにし、それが国際社会でどのように理論化・批判されているのかを、多角的な視点から網羅的に分析する。具体的には、建国から続く軍事占領の歴史的軌跡、社会心理学的な「包囲網メンタリティ(Siege Mentality)」の形成、ガザにおける物理的・空間的支配の実態、国際司法裁判所(ICJ)を舞台とした法的包囲網、2026年のイラン攻撃に伴う国際法違反の嫌疑、そして強硬な軍事政策を支える国内政治の力学という複数の次元から、この歴史的パラドックスの全貌を解き明かす。
2. 占領の常態化と構造的暴力の歴史的軌跡
イスラエルが被害者から加害者へと移行したプロセスは、ある日突然起きたものではない。それは、数十年間にわたるパレスチナ領土の軍事占領、入植活動の拡大、そしてパレスチナ人の基本的人権の組織的な剥奪という「構造的暴力」の漸進的な蓄積の結果である。
2.1 建国とナクバ(大破局)による非対称性の誕生
イスラエルの加害の歴史的起点は、1948年の建国とそれに伴う第一次中東戦争にまで遡る。1948年の時点において、パレスチナの土地のわずか8パーセントのみがユダヤ人の個人や組織の所有であったにもかかわらず、建国に伴う軍事衝突(パレスチナ人にとっての「ナクバ」)により、77万人から78万人のパレスチナ人が故郷を追われ、難民として追放された。この時点ですでに、パレスチナの先住民から見ればイスラエルは明確な「侵略者」であり「加害者」であったが、当時の西側諸国を中心とする国際社会は、ホロコースト直後という文脈から、イスラエルの建国を正当な民族自決と自己防衛の行使として容認した。
2.2 1967年第三次中東戦争と軍事占領の恒久化
決定的な転換点となったのは、1967年の第三次中東戦争(六日戦争)である。この戦争においてイスラエルは、ヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ地区、ゴラン高原などを占領し、現在に至るまで近代史上最長の軍事占領体制を敷いている。1967年9月には早くもレヴィ・エシュコル率いる労働党政権下でヨルダン川西岸への入植政策が奨励され、最初の入植地であるクファル・エツィオンが建設された。
その後、1977年に成立したメナヘム・ベギン率いる右派リクード政権は、グーシュ・エムニム(Gush Emunim)やユダヤ機関などの右派組織の支援を受け、西岸地区全域における入植活動を劇的に激化させた。この占領体制は、パレスチナ人の移動の自由を奪い、経済的発展を阻害する巨大なシステムへと成長した。1967年から1982年の間だけでも、イスラエル軍政当局はヨルダン川西岸で1,338軒のパレスチナ人の家屋を破壊し、30万人以上を裁判なしで恣意的に拘束した。
| 指標 / 年代 | 1948年建国時 | 1967年以降〜現代(2023-2025年) |
| パレスチナ人難民・避難者 | 約770,000〜780,000人 | 約140万人が占領地で生活(1988年時点) |
| ユダヤ人入植者数 | 0人 | 西岸に約500,000人、東エルサレムに約190,000人 |
| ユダヤ人による土地所有率 | 約8% | パレスチナ領土の広範な軍事支配および入植地拡大 |
| 軍事的抑圧(家屋破壊等) | – | 1967-1982年で1,338軒破壊、30万人以上拘束 |
現在、国連安全保障理事会(2016年の決議2334など)や国際司法裁判所(ICJ)は、これらの入植活動を「国際法の明白な違反」と度々認定しているが、イスラエルはバルフォア宣言に由来する歴史的権利、内外の安全保障上の理由、およびユダヤ教的象徴価値を盾にこれを強行し続けている。こうした占領の永続化と入植者植民地主義(Settler Colonialism)の展開こそが、イスラエルを加害者として定義づける最大の物的・制度的根拠として蓄積されてきたのである。
3. 被害者意識の兵器化と「包囲網メンタリティ」
圧倒的な軍事力を持ちながら、なぜイスラエルは自らを加害者として認識せず、過酷な軍事作戦を正当化し続けることができるのか。その根底には、歴史的トラウマに深く根ざした社会心理学的なメカニズムが存在する。
3.1 ホロコーストの記憶と自己同一化の教育
イスラエル社会において、ホロコーストは単なる過去の歴史的出来事ではなく、現在進行形の安全保障上のレンズとして機能している。ホロコースト生存者(HS)の証言や心理分析によれば、彼らはイスラエルという国家を「残虐行為からの安全を保障し、ユダヤ人コミュニティが未来に向かって繁栄できる究極の場所」というナラティヴの中心に据えてきた。
建国当初の15年間、ホロコーストはあまりに生々しい個人的トラウマとして教育現場から遠ざけられていたが、1961年から1962年にかけて行われたアドルフ・アイヒマンの裁判が歴史的かつ教育的な転換点となった。検察側は、イスラエルの若者がホロコーストの犠牲者に自己同一化(アイデンティファイ)することを意図的に促し、これが現代の「イスラエルらしさ(Israeliness)」の中核を形成するに至った。2023年10月7日のハマスによる攻撃は、イスラエル社会にとって「ホロコースト以来の最大の悲劇」と位置付けられ、生存者たちに歴史的なポグロム(ユダヤ人迫害)やホロコースト前の状況をフラッシュバックさせた。この生存への根源的な恐怖が、後の非対称的かつ壊滅的な軍事報復を国内的に道徳的免罪符として機能させている。
3.2 「包囲網メンタリティ」と被害者パラダイムの固定化
社会心理学において、イスラエルの行動原理を説明する最も有力な概念の一つが「包囲網メンタリティ(Siege Mentality)」である。これは、集団の構成員が「世界中の他者が自分たちを陥れようとしている、あるいは滅ぼそうとしている」と深く信じ込む認知的状態を指す。
ダニエル・バール=タル(Daniel Bar-Tal)らの研究によれば、常に攻撃され、孤立しているという集団的な被害妄想的傾向(パラノイア)と被害者意識は、自国の安全保障を確保するためのいかなる攻撃的行動をも道徳的・政治的に正当化する効果を持つ。すなわち、「我々が殺さなければ、我々が消滅させられる(if we don’t kill, we will cease to exist)」という極端な自己防衛のエートスが形成されるのである。
この「被害者意識(Victimhood)」は、現代の国際関係やナラティヴ闘争において強力な戦略的優位性をもたらす。自身を「絶対的な被害者」と定義する限り、その行動の責任や結果に対するアカウンタビリティ(説明責任)は免除されるという特権意識が生じるため、他国の民間人を虐殺し、領土を奪うという明確な加害行為を行っている最中でさえも、加害者としての自己認識を持つことが極めて困難になる。米国での大学キャンパスにおける抗議活動に対する反発や、反ユダヤ主義の恐怖が強調されることも、このメンタリティをさらに強化する要因となっている。
3.3 ロシアなどによるナラティヴの逆利用
皮肉なことに、この「防衛する被害者」というナラティヴは、現在イスラエルを非難する側によって戦略的に逆利用されている。かつてホロコーストの記憶を共有し、ソ連時代にはナチス・ドイツに対する「被害者兼解放者」を自認していたロシアは、現在、イスラエルをナチス・ドイツの残虐行為になぞらえ、ガザの状況をレニングラード包囲戦に例えている。
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領やセルゲイ・ラブロフ外相は、「イスラエルは第二次世界大戦中の苦しみを理由に、現在何をやっても許されるという印象を作り出すべきではない」と公然と批判し、イスラエルを「残酷な加害者」、パレスチナ人を「防衛する新たな被害者」として再定義している。これはロシアが自らのウクライナ侵攻を正当化し、グローバル・サウスを西側諸国から引き離すためのプロパガンダの道具であるが、イスラエルの被害者ナラティヴがいかに脆弱に崩れ去り、国際政治の舞台で兵器化(Weaponization)されているかを示す象徴的な現象である。
4. ガザ戦争(2023-2026年)と「イエロー・ライン」による空間的支配
イスラエルの加害者性が最も先鋭化し、国際社会からの決定的な非難を浴びる契機となったのが、2023年10月以降に展開されたガザ地区における軍事作戦と、その後に設定された「イエロー・ライン」による非人道的な空間支配である。
4.1 終わりなき破壊と人道危機の固定化
2023年10月の紛争勃発以降、イスラエルによるガザ地区への攻撃は前例のない規模の破壊をもたらした。2025年10月にいわゆる「ガザ和平案(Gaza peace plan)」に基づく停戦が発効したにもかかわらず、ガザ地区におけるパレスチナ人の犠牲は増え続けている。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の報告によれば、2025年10月10日の停戦開始から2026年2月27日までの間に、少なくとも631人のパレスチナ人がイスラエルの軍事作戦によって殺害された。この中には多数の女性や子どもが含まれており、同期間だけで202人の子ども、89人の女性が命を落としている。
さらに、ガザの民間インフラは壊滅的な打撃を受けており、2026年3月時点で必須医薬品の46%、医療消耗品の66%が枯渇している。恩赦インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)などの国際人権団体は、イスラエルがパレスチナ人の拘束者に対して恣意的な拘留、拷問、性的暴力を行っており、食糧や適切な医療へのアクセスを意図的に拒否している事実を克明に報告している。HRWの報告によれば、2023年10月以降、少なくとも75人のパレスチナ人がイスラエルの拘束中に死亡している。
人道支援の要である国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に対する攻撃も常態化している。紛争開始以来391人のUNRWA職員(活動支援者を含む)が殺害されており、さらにイスラエル政府は2025年1月末以降、UNRWAの国際スタッフに対するビザ発給を完全に拒否している。2024年10月に可決されたイスラエル国内法により、イスラエル当局とUNRWAの接触が禁じられ、ガザへの直接的な食糧搬入が遮断されている状態にある。
4.2 「イエロー・ライン」:事実上の併合と領土の工学的再編
イスラエルが「加害者」としてガザを構造的に支配する新たなメカニズムとして機能しているのが、2025年10月の停戦合意に伴い導入された「イエロー・ライン(Yellow Line)」である。この線は、ドナルド・トランプ米大統領のソーシャルメディアを通じて最初に発表された和平案の一部であり、ガザ地区を東西に分断する事実上の内部国境として機能している。
イエロー・ラインの設定により、ガザ地区全体の約53%から58%に相当する東側エリアがイスラエルの直接的な軍事統制下に置かれることとなった。このラインの東側には、パレスチナ人の広大な農地や、インドネシア病院、カマル・アドワン病院など多数の重要な医療施設(8つの病院と26のプライマリ・ケア・センター)が取り残されており、人道支援機関やパレスチナ住民のアクセスは著しく制限、あるいは完全に禁止されている。
| イエロー・ラインによる空間的支配の指標(2025年末〜2026年初頭) | 詳細・影響 |
| イスラエル軍支配地域の割合 | ガザ地区の約53%〜58%(ライン東側) |
| パレスチナ住民の強制移住 | ガザ住民の約90%がライン西側の狭小なエリア(アル・マワシ等)に密集 |
| 医療インフラの剥奪 | 東側の8つの病院と26の診療所へのアクセスが不可または厳しく制限 |
| 境界線の意図的な拡張 | 2025年11月〜12月、イスラエル軍がマーカーをガザ内部へ約295m移動 |
| 致死的な治安維持 | 停戦後、ライン周辺で少なくとも224人が射殺などの犠牲となる |
専門家は、このイエロー・ラインの設置と意図的な境界線の移動(2025年末に約295メートル内陸へ移動)を「領土の工学的再編(territorial engineering)」と呼び、事実上の併合(アンネクション)に向けた緩衝地帯の構築であると指摘している。パレスチナ人はこのラインの西側へと強制的に避難させられ、ラインに近づくこと自体が致命的なリスクを伴う。実際、国連機関の報告によれば、停戦後から2026年2月末までに殺害されたパレスチナ人のうち、少なくとも224人がこのイエロー・ラインの背後または周辺でイスラエル軍の攻撃の犠牲となっている。
欧州連合(EU)の外交官らも、イスラエルがイエロー・ラインを超えて軍事作戦を継続し、ガザを南北軸に沿って分断していることに対して強い懸念を示しており、EU主導のガザ調整センターへの参加を再考する国も出始めている。
5. 国際司法裁判所(ICJ)におけるジェノサイド訴訟と法的包囲網
イスラエルの軍事行動が単なる「過剰な自衛」の域を脱し、最も重大な国際犯罪である「ジェノサイド(集団殺害)」に該当するとの疑念は、国際司法裁判所(ICJ)という世界最高の法廷へと持ち込まれ、イスラエルの「加害者」としての立場を国際法的に固定化するプロセスが進行している。
5.1 南アフリカによる提訴とジェノサイドの嫌疑
2023年12月29日、南アフリカ共和国は、イスラエルがガザ地区のパレスチナ人に対してジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)に違反する行為を行っているとして、ICJに正式に提訴した。南アフリカの訴えは、イスラエルの行為が単なる戦闘行為の副次的な被害ではなく、パレスチナ人の殺害、重大な肉体的・精神的危害の付与、そして物理的破壊をもたらすよう「計算された生活条件の意図的な押し付け」であると主張している。
特筆すべきは、南アフリカがこのジェノサイドの嫌疑を、10月7日以降の短期的な軍事作戦のみに限定せず、75年間にわたるアパルトヘイト(人種隔離体制)、56年間にわたる占領、16年間にわたるガザ封鎖の歴史的連続性の中に位置づけた点である。かつてアパルトヘイト体制の被害者であった南アフリカが、イスラエルを構造的な加害者として国際法廷に引きずり出したことは、グローバル・サウスを中心とする国際社会のナラティヴの転換を象徴している。
5.2 各国の訴訟参加と国際法的な孤立
この訴訟は、単なる二国間の対立を超えて、ルールに基づく国際秩序に対する世界的なテストケースとなっている。2024年から2026年にかけて、世界各国がICJ規程第63条に基づく訴訟参加(Intervention)の宣言を相次いで提出しており、イスラエルに対する法的な包囲網が急速に形成されつつある。
| ICJ ジェノサイド訴訟(南アフリカ対イスラエル)への主な訴訟参加国 | 提出・発表時期 |
| パレスチナ、スペイン、トルコ、チリ、モルディブ、ボリビア | 2024年中頃〜後半 |
| アイルランド、キューバ、ベリーズ | 2025年1月 |
| ブラジル、コモロ、ベルギー | 2025年後半 |
| パラグアイ | 2026年3月3日 |
| オランダ、アイスランド | 2026年3月11日 |
ICJは2024年1月および5月にイスラエルに対して暫定措置を命令し、ガザにおける民間人の保護を求めた。しかし、前述のイエロー・ラインの設定や国連機関(UNRWA)の排除に見られるように、イスラエルは実質的にこれらの国際法的な命令を軽視、あるいは意図的に違反し続けている。国連特別報告者のフランチェスカ・アルバネーゼらも、イスラエルの行動を「ジェノサイド」と明言し、国際社会に対してイスラエルの国連加盟国としての資格停止を検討するよう強く求めている。ホロコーストの灰の中から生まれた国家が、ジェノサイド条約の被告として裁かれているという厳然たる事実そのものが、「被害者」から「加害者」への不可逆的な転落を何よりも雄弁に物語っている。
6. 地域戦争へのエスカレーションと国際法違反の常態化(2026年イラン攻撃)
イスラエルの軍事行動はパレスチナ領土内にとどまらず、2026年には地域全体を巻き込む大規模な戦争へとエスカレートした。この事態は、イスラエルが自国の安全保障を口実として他国の主権を侵害する「侵略国(Aggressor)」としての性質を決定づける出来事となった。
6.1 イランに対する予防的先制攻撃と国連憲章違反
2026年2月28日、米国とイスラエルはイランに対する大規模な合同軍事作戦を開始し、イランの核施設、科学者、および軍事指導者を標的に空爆を行った。この攻撃による余波で、イランの最高指導者アリ・ハメネイが殺害されたとの報道もなされた。イラン側も即座に報復としてイスラエル国内や中東各国の米軍基地に対してミサイルやドローンを発射し、民間人を巻き込む甚大な被害が発生した。
国際法の観点から見れば、このイスラエルと米国による攻撃は、国連憲章第2条4項(武力行使の禁止)に対する明白な違反であると多くの国際法学者が指摘している。国連憲章の下では、他国に対する武力行使が合法とされるのは、国連安全保障理事会の決議による明確な承認(第42条)がある場合か、第51条に基づく「個別的または集団的自衛権」の行使に限られる。
米国とイスラエルの両政府は、イランの核兵器開発を阻止するため、ならびに「残酷な独裁政権の打倒」を目的として武力を行使したと正当化を試みた。しかし、国際法上、これは自衛権の要件を全く満たしていない。自衛権が成立するためには、武力攻撃が現実に発生しているか、あるいは極めて「差し迫った(imminent)」脅威が存在する必要がある。攻撃の数時間前までイランが核開発計画のパラメータについて交渉を続けていた事実が示すように、イランから米国やイスラエルへの急迫不正の武力攻撃は存在しなかった。したがって、将来的な不確定の脅威を排除するための「予防的(preventive)」な武力行使は国際法上違法であり、イスラエル側の行動は自衛ではなく「侵略戦争(war of aggression)」と見なされるのが法的なコンセンサスである。
6.2 グローバル・サウスの反発と多極化する世界
この米国とイスラエルによる一方的な軍事行動に対し、グローバル・サウスを中心とする国際社会から激しい怒りと非難が巻き起こった。
ブラジル、南アフリカ、パキスタンなどの首脳は、この攻撃が核交渉を頓挫させ、国際法を侵害する「帝国主義的な強制行為」であると批判した。中国は「主権国家の指導者を殺害することは受け入れがたい」と激しく非難し、ロシア外務省は米国とイスラエルがイランの核開発への懸念を隠れ蓑にして実際には「レジーム・チェンジ(政権交代)」を画策していると批判した。インドネシアのイスラム教指導者らは、抗議の意を示すために米国主導の「平和委員会(Board of Peace)」からの自国の撤退を要求した。
| 2026年イラン先制攻撃に対する国際社会の反応 | 反応の方向性と背景 |
| グローバル・サウス(ブラジル、南アフリカ等) | 強く非難。外交プロセスを無視した帝国主義的・一方的攻撃、国際法の破壊とみなす |
| 中国・ロシア | 強く非難。主権侵害およびレジーム・チェンジの意図を批判。多極化秩序への挑戦と捉える |
| パキスタン、トルコ | 強く非難。イスラエルによる意図的な扇動と、米国(トランプ政権)の追従・単独行動主義を批判 |
| カナダ、オーストラリア | 米国およびイスラエルの攻撃を公然と支持 |
| 欧州連合(EU) | ルールに基づく国際秩序の擁護と、米国との同盟関係との間で板挟みとなり、反応が鈍化 |
多くの非西側諸国にとって、イスラエルと米国の行動は、イラクやリビアで行われたようなかつての体制転換戦争の再来であり、国連中心の多国間主義を根本から破壊する暴挙と映った。このような認識は、イスラエルが「抑圧される存在」どころか、超大国と結託して小国や資源国を軍事的に蹂躙する「帝国主義的な加害者」の先兵であるというナラティヴを世界規模で固定化させる結果を生んだ。
6.3 日本の対応のジレンマと市民社会の抗議
米国と強固な同盟関係にある日本もまた、この事態において極めて困難な外交的ジレンマに直面した。日本政府(高市早苗首相および茂木敏充外務大臣)は、米国とイスラエルの攻撃に対する直接的な法的評価や非難を避けつつも、「イランの核兵器開発は断じて許されない」として核不拡散体制の維持を強調し、同時に中東全域に滞在する邦人(イラン国内に約200名)の保護と経済への影響最小化に全力を挙げる声明を出した。
さらに事態を複雑にしたのは、NHKのテヘラン支局長を含む2名の日本人がイラン当局に拘束される事態が発生したことである。日本政府は早期解放に向けてイラン大使と協議するなど独自の外交努力を強いられたが、事態の根本原因である米国の軍事行動を牽制することはできなかった。
一方で、日本の市民社会からは政府の曖昧な態度に対する抗議の声があがった。日本YWCAなどの団体は、米国とイスラエルによるイランへの軍事攻撃に対する抗議声明を発表し、日本国憲法前文の理念に立ち返り、日本政府が両国の行動を「国際法違反」であると明確に明言するよう強く求めた。これは、ヨーロッパ諸国が米国への追従と国際法秩序の擁護との間で引き裂かれている状況と同様に、イスラエルの加害行為に対する同盟国の共犯性が厳しく問われる局面となっていることを示している。
7. 国内政治の力学:「完全な勝利」の呪縛と世論の分断
国際社会から加害者としての批判を浴び、法的な包囲網が狭まる中においても、イスラエルが強硬な軍事政策を転換できない背景には、国内政治の複雑な力学とイデオロギーの衝突が存在する。特にベンヤミン・ネタニヤフ首相が掲げる「完全な勝利(Total Victory)」という教条的なスローガンは、紛争の泥沼化を招く主要因となっている。
7.1 ネタニヤフ政権の「完全な勝利」イデオロギーの破綻
ネタニヤフ首相は、ガザにおけるハマスの完全な軍事的能力の破壊と政権からの排除、全人質の奪還を「完全な勝利」と定義し、それ以下のいかなる妥協も受け入れない姿勢を長期間にわたり堅持している。2024年7月の米議会演説でも、停戦を求める圧力をはねのけ、抗議する米国の学生や知識人を「反ユダヤ主義者」として一蹴し、「我々の敵はあなた方の敵である」と米国を自国の軍事行動に深く巻き込むレトリックを展開した。
しかし、2026年3月の段階に至っても、ガザの半分近くは依然としてハマスの影響下にあり、武装解除の兆しもないため、「完全な勝利」は極めて非現実的な幻影(wishful thinking)となっているのが実態である。それにもかかわらずこのスローガンが取り下げられない理由は、純粋な安全保障上の理由というよりも、極右・超国家主義的な連立パートナー(ガザへのユダヤ人入植を公然と主張する勢力)からの強い圧力と、自身の政治的延命(早期選挙の回避や進行中の汚職裁判からの逃避)のためであると広く分析されている。
軍事的成功を外交的解決に結びつけることができない(あるいは意図的に結びつけない)この政策方針は、必然的に「終わりのない戦争」を生み出し、結果としてパレスチナ民間人の絶え間ない犠牲と加害を産み出し続けている。
7.2 国内世論の深刻な乖離:右派の強硬姿勢と左派の衰退
イスラエル国内の世論も、かつてないほどに分断されている。2025年末から2026年にかけての世論調査によれば、イスラエルのユダヤ人市民の間で政治的イデオロギーによる劇的な見解の相違が見られる。
「ガザでの戦争を終わらせる時期が来たか」という問いに対し、全体では66%が「終わらせるべき」と回答した。政治陣営別に見ると、左派の圧倒的多数(94.5%)と中道派の多数(75%)が戦争終結を支持しており、その最大の理由は「人質の命が危険に晒されているため」である。しかし、右派においては「終わらせるべき」との回答はわずか48.5%にとどまり、42%が「まだその時期ではない」と答え、その理由として「ハマスの打倒」を最優先事項として挙げている。
さらに、「戦後のガザを誰が統治すべきか」という問いに対しては、イスラエルのユダヤ人の42%が「イスラエルがガザ地区を支配すべきである」と回答しており、占領と軍事支配を肯定するネオ・シオニズム的な感情が国内の相当数を占めていることが示されている。
この右傾化は、海外の保守系ディアスポラやキリスト教福音派からの莫大な資金援助、および米国のトランプ政権等との強力なネットワークによって支えられている。「国際法やリベラルな規範は、イスラエルの生存権を脅かす反シオニズム的なエリートの陰謀である」というポピュリズム的ナラティヴが国内で消費されており、構造的な加害性を自己正当化する思想が主流化している。左派シオニズムが歴史的に「パレスチナ国家との共存」を模索してきたのに対し、現在の右派は「ヨルダン川西岸やガザの占領状態こそがシオニズムの歓喜に満ちた到達点である」と見なしており、国内的な自浄作用は著しく低下している。
7.3 失墜する国際的威信への認知と自己防衛の悪循環
こうした強硬姿勢と加害行為の代償として、イスラエル国民自身も自国の国際的地位の劇的な低下を自覚し始めている。ピュー・リサーチ・センターの2025年から2026年にかけての調査によれば、イスラエル人の58%が「自国は国際的に尊重されていない(あまり尊重されていない、あるいは全く尊重されていない)」と回答しており、「尊重されている」と答えた39%を大きく上回った。特に、「全く尊重されていない」と回答した割合は前年の15%から24%へと急増している。
しかし、包囲網メンタリティに囚われた社会は、この国際的な非難と孤立を自らの加害行為の結果として反省するのではなく、「世界が再びユダヤ人に牙を剥いている(反ユダヤ主義の台頭)」と解釈する傾向が強い。その結果、自制や外交的譲歩に向かうのではなく、さらなる孤立主義と過剰な軍事力行使へと邁進する負の悪循環に陥っているのである。
8. 結論:被害者性の兵器化と国際秩序の崩壊危機
本報告書における多角的な分析から導き出される結論は、イスラエルが「被害者」から「加害者」へと転換した現象は、突発的な外交的失敗や一部の過激な指導者の暴走による一時的なものではなく、建国以来のトラウマに根ざした安全保障構造が臨界点に達した不可逆的な結果であるということである。
第一に、ホロコーストという絶対的な被害の記憶に基づく「包囲網メンタリティ」は、いかなる過剰な軍事行動をも「防衛」として正当化する心理的免罪符として機能してきた。しかし、圧倒的な軍事力を持つ占領国が、被占領民に対して数十年間にわたり非対称な暴力を振るい続ける現状において、そのレトリックは完全に破綻した。自らを無謬の被害者と位置づけることは、加害者としての自己認知を妨げ、際限のない暴力の行使(ガザの徹底的破壊、民間人の大量虐殺、「イエロー・ライン」による領土の工学的再編、イランへの違法な先制攻撃)を可能にする「兵器」と化している。被害者性が自己目的化し、他者の人権を蹂躙するための免罪符として悪用されている事実を、国際社会はもはや看過することができない。
第二に、ガザ地区への終わりなき軍事作戦と「イエロー・ライン」の導入は、一時的な治安維持の枠を遥かに超えた構造的暴力の可視化である。パレスチナ人を恒久的な難民状態と飢餓の危機にさらし、医療や生活の基盤を意図的に破壊する行為は、国連や国際人権団体が指摘する「ジェノサイド」や「アパルトヘイト」という嫌疑を物理的かつ空間的に裏付ける証拠となっている。イスラエルの国内政治が「完全な勝利」という非現実的な右派イデオロギーに縛られ、自浄作用を失っている以上、内部からの軌道修正は極めて困難な状況にある。
第三に、このイスラエルの加害者への変貌は、単なる一地域における人道危機にとどまらず、第二次世界大戦後に構築されたルールに基づく国際秩序(Rules-based International Order)そのものを崩壊の危機に陥れている。2026年のイランに対する予防的先制攻撃は、国連憲章が定める武力行使の禁止原則を根底から揺るがすものであった。イスラエルと、それに無条件の支援を与える米国が、自国の安全保障的利益のために国際法を恣意的に無視する態度は、グローバル・サウスの強い怒りと反発を招き、西側諸国の「二重基準(ダブル・スタンダード)」を決定的に浮き彫りにした。イスラエルの明白な加害性を国際社会が法的に制止できないことは、現行の国際法体系そのものの機能不全と倫理的破綻を意味している。
かつて、迫害からの解放と安全な避難所を求めて設立された国家が、生存への過剰な恐怖とイデオロギー的野心に突き動かされ、結果として他者の生存権を極限まで脅かす加害者へと変貌を遂げた。この歴史的パラドックスは、中東地域の和平を絶望的なまでに遠ざけているのみならず、21世紀の国際社会が拠って立つべき普遍的法秩序に対する最も深刻な挑戦となっている。今後の国際社会に求められるのは、イスラエルの歴史的トラウマに対する一定の理解を示しつつも、現実に進行している明白な加害行為と国際法違反に対しては、一切の例外を設けず、厳格なアカウンタビリティ(説明責任)を追及することである。それがなされない限り、力の支配が法の支配を凌駕する無秩序な多極化世界への移行を食い止めることは不可能である。