人間はどうしてカテゴライズが好きなのか?
宇宙には本来、あらかじめ引かれた明確な境界線が存在しない。光のスペクトルは途切れることなく連続し、生命の進化は滑らかなグラデーションを描き、時間は切れ目なく流れていく。しかし、私たち人間の意識は、この連続的で混沌とした世界をそのままの形では把握することができない。人間は世界を「色」に分け、「種」に分類し、「過去・現在・未来」へと切り刻む。
「人間はなぜ世界をカテゴライズ(分類)したがるのか?」
この根源的な問いは、単なる知的好奇心を満たすためのものではない。私たちがどのように世界を認識し、いかにして他者と結びつき、あるいは対立し、そして現代の複雑な社会システムの中でいかに生きるべきかという、人類の存亡と未来に関わる極めて実践的な命題である。本稿では、認知科学、進化心理学、社会学、哲学・言語学という多角的な領域の知見を統合し、人間の「分類する本能」のメカニズムを徹底的に解剖する。その上で、境界線が溶けゆく現代社会において、私たちがこの根源的な本能といかに折り合いをつけるべきか、新たなパラダイムを提示する。
1. 認知と進化の深層:生存戦略としての「分節化」とヒューリスティクス
人間が世界を分類する最も根源的な理由は、過酷な自然環境において生き延びるためである。私たちの脳は、環境からの膨大な感覚入力を効率化し、瞬時に生存に直結する判断を下すための強力なフィルターとして「カテゴリー化」のメカニズムを進化させてきた。
生存のためのヒューリスティクスと適応度
進化心理学の視点から見れば、カテゴリー化は「捕食者」と「獲物」、「毒」と「食物」を瞬時に見分けるための生命線であった 。数百万年前のサバンナにおいて、茂みの揺れを見たときに「これがどのような確率でどの種の動物であるか」を詳細に計算するような「無制限の合理性(Unbounded rationality)」を持つ個体は、計算を終える前に捕食されて淘汰された。生き残ったのは、限られた情報から瞬時に「危険(捕食者)」というカテゴリーを呼び出し、逃走行動をとる個体である 。
ベルベットモンキー(サバンナモンキー)が、鷲(イーグル)という特定の捕食者カテゴリーに対して専用の警戒コール(鳴き声)を発達させている事実は、心理的等価クラス(カテゴリー)の学習が、脊椎動物にとって数億年前からの生命維持装置であったことを示している 。この迅速な意思決定メカニズムは、心理学者ゲルト・ギーゲレンツァーが提唱する「早くて質素なヒューリスティクス(Fast and Frugal Heuristics)」として概念化される 。ヒューリスティクスとは、完全な情報や複雑な確率計算に頼らず、経験則や直感を用いて素早く解を導き出す認知の近道である。複雑な計算ではなく、「肉食である」「牙がある」といったわずかな手がかりから「捕食者」というカテゴリーを起動し、それに特化した記憶システムや反応を引き出すことが、進化上の圧倒的な優位性をもたらしたのである 。
この適応的なメカニズムの有用性は、現代の極限状況においても証明されている。例えば、心筋梗塞の疑いで救急搬送された患者を診断する際、19の指標を用いた複雑な統計分析よりも、わずか3つの「Yes/No」に基づくシンプルなヒューリスティクス(決定木)の方が、高リスク患者の分類において優れた精度と迅速性を発揮することが知られている 。不確実性の高い環境下では、少ない情報で対象を分類するアプローチが、過剰な情報処理を凌駕するのである。
認知的節約(Cognitive Economy)と脳の限界
私たちの脳は、体重のわずか数パーセントの質量でありながら、体内の全エネルギーの約20%を消費する極めて燃費の悪い器官である。そのため、脳は常に「認知的節約(Cognitive Economy)」を志向する 。目の前にある一つ一つの対象をすべて「全く新しい未知の個物」として処理していては、認知リソースは即座に枯渇してしまう。
対象を類似性に基づいてグループ化し、「これは『木』である」「これは『椅子』である」とカテゴリーに当てはめることで、私たちは対象の細かい差異を無視し、過去の経験や知識を流用することができる 。カテゴリー化は、複雑な現実を脳が扱えるサイズに圧縮するための不可欠なデータ圧縮アルゴリズムなのである。実際、人間の記憶システムは生存に関するカテゴリー情報(例:食料、捕食者、ゾンビのような架空の脅威さえも)を処理する際に、他の情報よりも著しく高い記憶定着率を示す「生存処理優位性(Survival processing advantage)」を持つことが実証されている 。
コペルニクス的転回:プロトタイプ理論の誕生
人間がどのようにカテゴリーを形成しているかについて、長らく西洋思想を支配してきたのはアリストテレス的な「古典的カテゴリー観」であった。これは「あるカテゴリーに属するためには、必要十分条件を満たさなければならない」という二項対立的(0か1か)なモデルである 。
しかし1970年代、心理学者エレノア・ロッシュは、人間の実際の認知プロセスがこの古典的モデルとは全く異なることを実証し、認知科学における「コペルニクス的転回」をもたらした 。彼女は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの「家族的類似性(Family resemblance)」の概念に影響を受け、「プロトタイプ理論(Prototype Theory)」を提唱した 。この理論によれば、人間のカテゴリーには明確な境界線が存在せず、中心から周辺へと向かう「グラデーション(程度の差)」が存在する 。
| 比較軸 | 古典的カテゴリー理論(アリストテレス的アプローチ) | プロトタイプ理論(エレノア・ロッシュのアプローチ) |
| 分類の基準 | 明確な必要十分条件(定義付け) | 典型例(プロトタイプ)との家族的類似性 |
| 境界線の性質 | 明確でデジタル(0か1か、白か黒か) | 曖昧でアナログ・グラデーション(ファジィ) |
| 成員の等価性 | 全てのメンバーは平等にカテゴリーに属する | 中心的メンバーと周辺的メンバーが存在する |
| 推論への影響 | 演繹的・規則ベースの判断 | 帰納的・経験ベースのヒューリスティクス |
| 具体例(鳥) | 羽根があり卵を産むなら全て平等に「鳥」 | 「スズメ」は中心的な鳥、「ペンギン」は周辺的な鳥 |
| 具体例(家具) | 家の中に置く道具であれば全て平等に「家具」 | 「ソファ」は中心的な家具、「電話」は周辺的な家具 |
例えば、「家具」というカテゴリーを提示されたとき、人々は「ソファ」や「椅子」を即座に思い浮かべるが、「クローゼット」や「電話」が家具かどうかについては判断に時間がかかる 。また、「鳥」という概念において、「空を飛ぶ、羽毛がある」という典型的な特徴(プロトタイプ)を持つスズメは中心的なメンバーであり、飛べないペンギンやダチョウは周辺的なメンバーとして認識される 。
このように、私たちの脳は世界をデジタルな境界線で区切るのではなく、最も典型的な「プロトタイプ」をアンカー(錨)として設定し、そこからの類似度のグラデーションによって世界を把握している。この柔軟性こそが、道徳的判断のような複雑な状況において、絶対的なルールを機械的に適用するのではなく、文脈に応じた個別的かつ最適な解を導き出す基盤となっているのである 。
2. 哲学・言語の視点:言葉はいかにして「星雲」を切り裂くのか
認知心理学が「脳のデータ圧縮」としてカテゴリー化を説明する一方、哲学と言語学は、人間が「言葉」というメスを使って、いかにして連続的な世界を切り刻んできたかを明らかにする。言葉を持たない世界において、対象はどのように存在するのだろうか。
ソシュールと「星雲」としての思考
近代言語学の父、フェルディナン・ド・ソシュールは、言語が単なる「既に存在する事物に貼られた名札」ではないことを看破した 。彼の最も深遠な洞察は、『一般言語学講義』において語られた次の言葉に集約される。
「言語がなければ、思考は漠然とした、海図のない星雲(nebula)にすぎない。あらかじめ存在する観念などなく、言語が現れる前には何一つ明瞭なものはない」
ソシュールによれば、言語記号は「シニフィアン(能記:音声や文字などの物理的側面)」と「シニフィエ(所記:それが意味する概念)」の結びつきによって成立する 。この結びつきは絶対的な必然性を持たない「恣意的なもの(Arbitrary)」である 。言語とは、音の響きと概念の間に必然的なつながりがないにもかかわらず、社会的な約束事として機能しているシステムである。
連続的で形のない「思考の塊」と、同じく連続的な「音声の塊」に対して、言語というシステムが網の目のように被さることで、初めて世界は「分節化(articulation)」される 。例えば、「水(water)」と「湯(hot water)」を別のカテゴリーとして分節化する言語もあれば、連続した一つの現象の温度変化として捉える言語もある。私たちが認識している「世界」とは、物理的な現実そのものではなく、言語体系によって恣意的に切り分けられ、カテゴリー化された「意味のネットワーク(差違の体系)」に他ならない 。
サピア=ウォーフの仮説と色彩の認識
言語が世界認識を形作るというソシュールの哲学は、アメリカの言語学者エドワード・サピアとベンジャミン・リー・ウォーフによって「言語的相対論(サピア=ウォーフの仮説)」として展開された 。この仮説の根幹は、「人が話す言語の文法的・語彙的構造が、その人の思考や世界に対する知覚のあり方に強い影響を与える」というものである 。
この仮説を実証する最も鮮やかな例が「色彩のカテゴリー化」に関する通文化的研究である。物理学的に見れば、光のスペクトルは連続的な波長であり、そこに客観的な「色の境界線」は存在しない。しかし、人間は言語を用いてこのスペクトルに人為的な境界線を引く 。
| 言語コミュニティ | 色彩カテゴリーの特徴と実験結果 | 認識への影響(サピア=ウォーフ仮説の実証) |
| 英語話者 | 「緑(Green)」と「青(Blue)」を明確に異なる基本色彩語として持つ。 | 緑と青の境界をまたぐ色の違いを容易に識別・記憶できる。しかし、緑同士の微妙な違いの識別は困難 。 |
| ヒンバ族 (アフリカ南部) | 英語の緑と青に相当する色を単一のカテゴリー(または英語と異なる境界)で表現する。一方で、特定の緑のスペクトルを細かく分ける語彙を持つ。 | 自身の言語にある境界を越える色の違いには極めて敏感だが、英語の「緑と青」の違いを区別することは非常に困難である 。 |
| ベリンモ族 (パプアニューギニア) | 英語とは異なる5つの基本色彩カテゴリーを持つ。「Nol(緑〜青)」と「Wor(黄〜緑)」という独自の境界を持つ。 | 英語の「緑と青」の区別は苦手だが、独自の「Nol」と「Wor」の境界をまたぐ色は迅速かつ正確に識別できる 。 |
これらの研究が示すのは、私たちが「客観的な現実の色」を見ているのではなく、「自らの母語がカテゴリー化した色」を網膜越しに見ているという驚くべき事実である 。カテゴリー化は単なる事後のラベリングではなく、私たちの知覚(Perceptual discrimination)そのものを変容させているのだ 。
また、言語の恣意性の例外とされる「音声象徴(Sound symbolism)」の研究は、子どもが複雑な環境の中から特定のカテゴリーを見つけ出し、語彙を獲得するプロセス(ブートストラッピング)において、音と意味の非恣意的な結びつきがいかに重要かを明らかにしている 。言語による分節化は、人間が発達の初期段階から世界を整頓するための強力なエンジンとして機能している。
3. 社会的アイデンティティと分断:集団形成における「分類」の功罪
認知の節約や言語による分節化は、個人が複雑な世界を理解するための強力なツールである。発達心理学の研究が示すように、人間の乳児は生後間もなくからジェンダー、言語、食の好みといった社会的に意味のあるカテゴリーを自動的にコード化し、社会的世界を切り分け始めている 。しかし、この「カテゴリー化する本能」が人間関係や社会システムに向けられたとき、極めて深刻なダイナミズムを生み出す。それが「偏見」「差別」、そして「集団間の対立」である。
社会的アイデンティティ理論(Social Identity Theory)のメカニズム
1970年代、社会心理学者アンリ・タジフェルとジョン・ターナーは、「社会的アイデンティティ理論(Social Identity Theory: SIT)」を提唱した 。タジフェル自身はホロコーストで多くの家族を失ったポーランド系ユダヤ人であり、「人間はいかにしてジェノサイドのような惨劇に至るのか」という痛切な問いが彼の研究の原動力であった 。
SITは、人間の自己概念や自尊心が、個人の特性(パーソナル・アイデンティティ)だけでなく、「自分がどの社会的集団に属しているか(ソーシャル・アイデンティティ)」という認識に強く依存していることを明らかにした 。この理論は、以下の4つの心理的プロセスを経て、いかにして無害な分類が暴力的な対立へと変貌するかを説明する。
| SITのプロセス | 心理的メカニズムと行動への影響 | 社会的な帰結 |
| 1. 社会的カテゴリー化 (Social Categorization) | 人種、国籍、性別、職業などの属性に基づいて、自分と他者を特定の集団に分類する。環境を理解するための認知的ショートカット 。 | 「私たち(Us)」と「彼ら(Them)」という根本的な境界線の誕生。ステレオタイプ形成の基盤となる 。 |
| 2. 社会的同一化 (Social Identification) | 分類された集団(内集団)の規範や行動様式を自己に取り込み、「私はこの集団の一員である」というアイデンティティを確立する 。 | 帰属意識、連帯感、自尊心の獲得。同時に、自己の価値が集団の価値に過度に依存するようになる 。 |
| 3. 社会的比較 (Social Comparison) | 自分の属する「内集団」と、属さない「外集団」を比較する。自尊心を維持・向上させるため、自集団を優位に見ようとするバイアスが働く 。 | 外集団の同質性を誇張し(彼らはみな同じだ)、内集団の多様性を強調する認知バイアスの発生 。 |
| 4. 肯定的差異化 (Positive Distinctiveness) | 外集団に対して内集団を「より良く、より優れている」と認識させようとする強烈な動機付け 。 | 内集団贔屓の極端化。資源の奪い合いがなくても生じる外集団への差別、偏見、敵意。最悪の場合は民族浄化へ 。 |
カテゴリー化の恐ろしい点は、このプロセスが完全に無意識のうちに作動し、社会階層(Social stratification)や交差性(Intersectionality)と結びつくことで、富や権力の不平等を正当化するイデオロギーとして機能することである 。
最小条件集団パラダイム:悲劇の萌芽
タジフェルが実験を通じて証明した最も衝撃的な事実は、人間を対立させるためには、歴史的な因縁も、イデオロギーの違いも、限られた資源を巡る現実的な競争も「不要」であるということだ。彼は「最小条件集団パラダイム(Minimal Group Paradigm)」と呼ばれる一連の実験において、全く無意味で恣意的な基準だけで人々を分類した 。
実験では、見知らぬ少年たちを集め、抽象画家の「パウル・クレー」と「ワシリー・カンディンスキー」のどちらの絵が好きかという極めて些細な基準(実際にはランダム)で「クレー・グループ」と「カンディンスキー・グループ」に分類した 。その後、少年たちに顔も名前も知らない他者へ報酬(ポイント)を分配させた。
経済学的な合理性(ホモ・エコノミクス)に従えば、参加者は全員の合計報酬を最大化しようとするはずである。あるいは、自己利益に直結しなくとも、自集団の絶対的な利益を最大化する選択肢を選ぶと予想された。しかし結果は驚くべきものであった。少年たちは、全体の利益を最大化する選択肢でも、自集団の絶対的利益を最大化する選択肢でもなく、「外集団との『差』を最大化する選択肢」を最も多く選んだのである 。すなわち、「自分たちが10ポイント、相手が10ポイント」もらえる状況よりも、「自分たちが7ポイント、相手が1ポイント」の状況を選んだのだ。
これは、人間が「絶対的な富」よりも「他集団に対する相対的な優越性(肯定的差異化)」を渇望する生き物であることを示している 。太古の環境で素早く敵味方を識別し、味方を優遇するためのヒューリスティクスが、現代の抽象的な状況において「差別の自動発生装置」として暴走(ミスフィット)しているのである。「グループA」と「グループB」というラベル(カテゴリー)を貼られただけで、人間の心には暗い淵が開き、集団間葛藤の種がまかれる 。
4. 液状化する世界とグラデーション:現代社会における本能との対峙
太古のサバンナを生き抜くために進化したカテゴリー化のヒューリスティクスは、現代の複雑でグローバル化した社会において深刻な不適合を引き起こしている。かつて生存を担保した境界線は、いまや社会の分断を生む足かせとなっている。なぜなら、現代社会の最大の特徴は、国籍、人種、性別といったあらゆるカテゴリーの境界線が溶解し、「明確な二項対立(Binary)」から「連続的なグラデーション(Spectrum)」へと移行している点にあるからだ 。
ジェンダー・パフォーマティビティと非二元論的な現実
その最も先鋭的な戦場が「ジェンダー」の領域である 。歴史的に、社会は生物学的な生殖機能や肉体と結びつけて「男性 / 女性」という強固な二元論的カテゴリーを構築し、それに基づく役割(理知的な男性 / 感情的で身体的な女性、公的領域の男性 / 私的領域の女性)を本質的なものとして押し付けてきた 。この二元論は、しばしば権力構造と結びつき、一方を優位に、もう一方を劣位に置く暴力性を孕んでいる 。
この固着したカテゴリーを根底から解体したのが、哲学者ジュディス・バトラーである 。彼女の「ジェンダー・パフォーマティビティ(Gender Performativity:行為遂行性)」理論は、「ジェンダーとは内発的・本質的な性質ではなく、社会的な行為の反復(パフォーマンス)によって事後的に構築されるものである」と喝破した 。
バトラーによれば、「女である」「男である」ことの確固たる内部的本質など存在しない。「女らしい振る舞い」や「男らしい服装」を社会的な圧力の下で反復させられることで、あたかもその背後に「本質的な性(セックス)」が存在するかのような錯覚(イリュージョン)が生み出されているに過ぎない 。この視点は、「非二元(ノンバイナリー)」や「トランジェンダー」という、既存の二項対立カテゴリーに収まらない人々の存在を可視化し、擁護する哲学的基盤となった 。
バトラーの理論は、私たちがいかに「分類」の暴力性に対して無自覚であるかを突きつける。「すべての人を男性か女性のどちらかに明確に分類しなければならない」という社会的強迫観念そのものが、人間の多様なあり方(グラデーション)を抑圧しているのである 。これは、ソシュールが指摘した「言語による恣意的な分節化」が、社会的な力学を伴って人間の身体とアイデンティティに刻み込まれるプロセスに他ならない。
リキッド・モダニティにおける不確実性の恐怖
さらに、社会学者ジグムント・バウマンが提唱した「リキッド・モダニティ(液状化した近代)」という概念は、グラデーションの時代を生きる現代人が抱える根源的な不安を見事に説明している 。
かつての社会(重く、固い近代)では、国家、階級、家族形態、労働環境といったカテゴリーは強固であり、人々に「自分が何者であり、どこに属しているか」という明確なアイデンティティと安心感を与えていた 。しかし、現代のグローバル化と個人化の波は、あらゆる制度や関係性を流動化(液状化)させた 。労働形態は変わり、家族像は多様化し、共同体は解体され、国境は意味を失いつつある 。
境界線が溶け、明確なカテゴリーが失われた世界は、あらゆる生き方が許容されるという意味で自由であると同時に、極めて恐ろしい。前述したように、人間の脳は「認知的節約」を志向し、明確なカテゴリーによる情報の圧縮を求める 。流動的な世界は、この脳の要求に応えないため、人々に過剰な認知的負荷と不安をもたらす。
その結果何が起こるか。人間は流動的な世界に対する反動として、再び強固で暴力的なカテゴリーへとすがりつこうとするのである 。極端なナショナリズムの台頭、排外主義、ヘイトスピーチ、ポピュリズムの蔓延は、不確実性に耐えられない人間が、「私たち」と「彼ら」を分かつ明確な境界線を再構築しようとする悲鳴に他ならない。多様性が叫ばれる一方で、世界各地で分断と分極化が進行しているのは、人間の「分類する本能」が引き起こす必然的なリアクションなのである。
5. 境界線の再編:分断を乗り越えるための認知的アプローチ
私たちは「世界をカテゴライズする」という進化的宿命から完全に逃れることはできない。分類なしには、言葉を話すことも、思考することも、複雑な社会生活を送ることも不可能だからだ。しかし、タジフェルが懸念したような「カテゴリー化から偏見・差別への直結」を回避し、グラデーションを重んじる現代社会と折り合いをつけるための科学的・実践的アプローチはすでに存在している。
社会心理学と認知科学は、カテゴリーの境界線を無効化、あるいは再構築するための強力な介入戦略を提示している。
| 認知的介入戦略 | 理論的背景とメカニズム | 効果と社会的含意 |
| 脱カテゴリー化 (Decategorization) | 人々を「集団の代表」としてではなく、「個々の独立した人間」として扱うよう促すアプローチ 。 | 認識単位を「私たち」から「私」へと移す。かつての内集団への不当な贔屓を減らし、外集団をステレオタイプで評価することを防ぐ。ただし集団レベルの連帯も弱まるリスクがある 。 |
| 再カテゴリー化 (Recategorization / CIIM) | 対立する複数の中小グループを包摂する、より大きな「上位の共通集団(Common In-group)」のアイデンティティを形成させる 。 | サミュエル・ガートナーらの「共通内集団アイデンティティ・モデル」。境界線を広げて「彼ら」を「私たち」に取り込むことで、かつての外集団メンバーに対する親近感、協力、親社会的行動を劇的に高める 。 |
| 二重アイデンティティ (Dual Identity) | 自身の本来のサブグループ(例:移民、少数民族)への帰属意識を保ちつつ、上位のグループ(例:国家、人類)への帰属意識を同時に活性化させる 。 | CIIMが抱える「多数派への同化圧力による少数派の反発」を克服。人々の「独自性への欲求」を満たしつつ、多数派との調和を促進する極めて実践的なモデル 。 |
サミュエル・ガートナーとジョン・ドヴィディオによる「共通内集団アイデンティティ・モデル(CIIM)」は、境界線を消し去るのではなく、境界線の枠を広げることで、かつての「敵」を「味方」へと変容させる力を持つ 。実験室でのサバイバル課題の研究では、対立するグループに共通の目標と名前を与え、上位カテゴリーを形成させることで、相互の信頼関係と協調的行動が劇的に向上することが確認された 。これは、気候変動やパンデミックといった地球規模の課題に直面した人類が、国家や人種というカテゴリーを超えて「地球市民」という上位カテゴリーを形成できるかという、現代社会の究極のテストに希望を与えるものである。
認知的柔軟性と社会認知的マインドフルネス
さらに根源的なアプローチとして、個人の認知的な硬直性をほぐす「認知的柔軟性(Cognitive Flexibility)」の訓練が挙げられる 。環境の変化や複雑な情報に対して、既存のスキーマ(枠組み)を素早く再構築し、多角的な視点から物事を関連付ける能力である 。
エレン・ランガーらが提唱する「社会認知的マインドフルネス(Socio-cognitive mindfulness)」は、カテゴリー化への全く新しい向き合い方を提示する 。ランガーによれば、偏見をなくすために「カテゴリー化を完全にやめ、全員を同じだと思い込むこと(カテゴリーの抑圧)」は不可能であり、効果もない。むしろ逆である。マインドフルネスとは、「常に対象の新しい差異や文脈に気づき、既存の自動的なカテゴリー付け(ステレオタイプ)にとらわれず、新たなカテゴリーを柔軟に生成し続ける状態」を指す 。
「あの人はAというグループの人間だ」と一つのラベルで思考停止するのではなく、「あの人はAであり、同時にBでもあり、特定の状況下ではCという側面も見せる」と、無数のカテゴリーを並行して適用する。逆説的だが、「分類の解像度を究極まで高めること(=個別化すること)」こそが、単一で粗雑なカテゴリー化による暴力から私たちを解放する手段なのである 。
結論:分類する本能の罠を超えて
人間が世界をカテゴライズしたがる理由は、そうしなければ圧倒的な情報量に押しつぶされてしまうという脳の省エネ構造と、野生の環境を生き抜くための進化的プログラムの産物である 。言語は、そのプログラムを実行するための極めて精緻なツールとして機能し、私たちの目に映る現実を分節化し、意味を与えてきた 。
しかし、この認知メカニズムが社会システムと結びついたとき、人類は「自己の属する集団を過大評価し、外部を排斥する」という破壊的なバグを抱え込むことになった 。現代は、リキッド・モダニティによる終わりのない不確実性と、ジェンダーや人種といった旧来の強固なカテゴリーが解体される過渡期にあり、私たちはこの「境界線喪失の恐怖」に直面している 。
人間は、カテゴリーなしでは世界を認識できない。しかし、私たちが自ら引いたその境界線が、絶対的な真理ではなく「脳の便宜的なショートカット」や「社会的な構築物」に過ぎないことを知る知性を持っている。アリストテレス的な絶対的境界線への固執を捨て、ロッシュが示したプロトタイプ的な「グラデーション」を受け入れること 。ソシュールが言うように世界が本来「星雲」であるならば 、私たちはそこに引かれた星座の線を何度でも引き直すことができるはずだ。
自身の「分類したがる本能」に無自覚に従属するのではなく、そのメカニズムの脆弱性と暴力性を深く理解すること。そして、上位カテゴリーの創出による包摂や、マインドフルネスによる絶え間ない境界線の再編を通じて、カテゴリーの網をしなやかに編み直す認知的柔軟性を養うこと。それこそが、境界線が曖昧なグラデーションの時代において、分断された社会を再統合し、人間が人間であるための「新たなる本能」となるのである。